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2012年8月31日金曜日

来日チケット、そろそろ発売ですね

ラファウ・ブレハッチの2013年2月の来日スケジュール


大阪ザシンフォニーホール(2月3日)のシンフォニア会員の先行予約は、9月7日午前10時から受け付けるそうです。一般は9月9日から。
他会場よりちょっと早めなので念のため。
最近のことは知らないのですが、4年前、電話がつながらなかったこと覚えてます。


ジャパンアーツのウェブサイトがリニューアル。
ラファウ・ブレハッチの来日関係はこちら  
サントリーホール、みなとみらいの、夢倶楽部会員先行販売は9月15日から。一般は29日。
などなど

京都バロックザール、さいたま芸術劇場も29日。

武蔵野市民文化会館は、10月以降になるそうです。(日にちは未定)

ラファウ・ブレハッチの先生方が語る(3)

2005年の12月に、ポーランドの Gazeta Wyborczaに掲載された、テレサ・トロヤンスカによる記事の続きです。

ラファウ・ブレハッチは1985年6月30日、ナクウォ・ナド・ノテチョンで生まれ、22歳頃まで同市で暮らしました。地元ナクウォのエレメンタリースクール・セカンダリー・スクールで学びましたが、それに加えて音楽学校にも通いました。この記事は音楽教育の部分についての証言録になっています。

  5歳~ナクウォの音楽センター
7歳~ビドゴシチへ個人レッスンに通う。
8歳~ビドゴシチのアルトゥール・ルービンシュタイン音楽学校

15歳~ビドゴシチ市のフェリクス・ノヴォヴィエイスキ音楽大学にて、カタジーナ・ボボヴァ=ズィドロン教授に師事。22歳で卒業。(今回の記事では、この音楽大学の部分は含まれていません。)

ラファウ・ブレハッチの先生方が語る(1)では、ビドゴシチのアルトゥール・ルービンシュタイン音楽学校に入学するにあたっての出来事について、

ラファウ・ブレハッチの先生方が語る(2)では、それ以前の、誕生からナクウォの音楽センターに通うまで、

そして、この(3)では、ビドゴシチにて1年間通った個人レッスンと、その後アルトゥール・ルービンシュタイン音楽学校に通い出してからの様子が語られています。

******

アリナ・ザレイスカ:彼と長時間座っていました。


(注:ここではラファウは7歳。まだビドゴシチの音楽学校に入る前の段階、1年間個人レッスンを受けていました。)

彼女は専門的にラファウの手を形成した。譜読みの仕方や低音部記号(ヘ音記号)を教えた。

-彼はとても早く習得しました。
レッスンを受けるごとに彼はめざましく進歩したので、退屈しないように、短期間にプログラムを変更する必要があった。

父親がラファウを小さな車に載せて、週2回、水曜日と土曜日の各々2時間のレッスンのために連れてきた。レッスンの間、父はソファに座り、レッスンを聴くか仕事をしていた。彼は保險のエージェントだった。

-私はお父さんに、ラファウには才能があるので、音楽学校で学ばせて、人前で演奏したり、他の生徒たちと切磋琢磨させるべきだ、と言いました。

1年後、ザレイスカはレッスン料を値上げした。
彼らは花束を持って行き、彼女にお礼を言った。

1993年。ラファウは8歳だった。


ヤチェク・ポランスキ- 彼を愛していました。

-フリデリック - ヤチェク・ポランスキはラファウをこう呼んだ。

ポランスキは、ビドゴシチの音楽学校でラファウに教えた2人の教師の1人だ。
彼がピアノの演奏を、アンナ・シャラプカが他の科目を教えた。
彼は7年間、毎週木曜日の9時から12時半か13時まで教えた。

- ラファウにとっては、聖なる時間でした。
父親は座って仕事の書類を読み、2人は演奏したり、話したり、冗談を言い合ったりしていた。

ラファウが、どんな冗談だったか、教えてくれた。
例えば、妹と衣装ダンスに隠れて両親が2人を探し回ったとか、
まるで、フリデリック・ショパンのように。
17.5メートルの廊下で、自転車を乗り回したとか。

家族でトルンのおじを訪ねた時、おじはラファウが少しは休むように、ピアノに鍵をかけてしまった、とか。

ラファウは、1日に4,5時間練習した。
ヤチェク・ポランスキの流儀では、学校でのレッスンは、「おはようございます。」で始まり、着席して演奏する、というものであってはならない。

- 絵画芸術について語り、どんな音楽を聴いたのか、何に興味があるのか、どんな本を読んだらいいのかを語り合うべきです。

教授は極度に感受性が強く、敏捷で、激しやすい人物、ブレハッチ氏とは全く逆だった。
2人が一緒にいる状況を想像するのは難しい。
ブレハッチ氏は勤勉で、数字は小数点以下第3位まで合っていなければならない。一方、ポランスキ氏はアーチスト。いきいきとした想像力があり、衝動的だった。

彼はラファウに言った。

- 両親のいうことを聞いちゃいけないよ。僕たちが一緒に世界を征服することも秘密だ。

彼はラファウに、ショパン、ベートーベン、"ラジヴィウ公のサロンで演奏するショパン"の絵を贈った。
これらは、ラファウの部屋の壁に今も掛かっている。



ポランスキの意見では、本物の教師は、生徒の内にある美や、美を認知しようとする欲求を喚起しなければならない。

モーツァルトは言った。

- 指が届かないのなら、鼻を使えばいい。
自分の内面に美があるのなら、君の手が自分の想像力を聴いて、それに従って動くはず。

- 1年後、私はラファウと一緒にワルシャワに行きました。彼はすぐに第1位をとりました。
ゴジュフのピアノコンクールに一緒に行った時、彼は全ての賞をとりました。全てです。これが、茨の道の入口でした。

教育者にとって、この生徒を教えることは、夢なのだろうか?

Yes.  結果を見るなら。
No.  彼のために費やす膨大な時間や、彼を人前での演奏会に出し、ストレスを感じつつ、次の計画をたてる状況を考えるなら。

ナクウォの新聞は、「アマデウスのようなラファウ」とか「彼はナクウォのショパンか?」といった見出しをつけた。

- 彼を愛していました。- と、ポランスキは、やや苦々しい声音で言った。彼らがラファウを連れてきたのです。
ポランスキが興味を持ったのではなかった。ラファウの成長のために、教師を変える必要があったのだった。


アンナ・シャラプカ: 彼はショパンのことを全て知りたがった。

- ラファウは1ヶ月間、リトミックを行うためのグループに入りました。しかし、彼はグループには合いませんでした。習得が早すぎるのです。
私が全教科を教えました。音感、音楽理論、音楽史。
学校の管理側が、ラファウには個別指導のコースを用意することを決めました。

1993年の当時、アンナ・シャラプカは卒業後数年というキャリアだった。
- 負担感は大きかったです。大きな責任。どうやって彼の成長を手助けできるのか?

彼は全ての音を認識できました。鍵盤のあちこちに散らばっている音もです。
しかし、彼はシャープかフラットかは気にしませんでした。同じ音だから、嬰ヘ音でも変ト音でも気にしないのです。
従って、音楽用語、調の原則を学ぶ必要がありました。これが重要だという認識は、ありませんでした。音程の認識にも問題がありました。

そこで、たくさんの課題を練習し、何ページもの課題が宿題に出された。
彼女がバッハのフーガを弾き、彼は旋律とそれ以外の音をを書きとめた。彼の年頃の子供は、普通できないことだ。
彼はそれをやり終えて、2週間後、自分で作曲したという課題を持ってきた。
心に深く存在する音楽なのだが、紙の上にうまく移行できないと言う。

そこで、彼女は作曲の仕方も教え始めた。
彼はピアノ三重奏をつくり、次にソナタをつくった。
革新的な曲ではなかったかもしれないが、その時点で、少しばかり修正を加えれば演奏に値するものが書けたのだ。

学校は、彼のためにスポンサーを見つけ、1年間の作曲のコースを始めた。

- 私は中世以降の音楽様式の違いを彼が理解できるよう、認識の仕方を教えようと努めました。
レコードを買ってきて、一緒に聴いて、アナリーゼをしました。
モーツァルト、ルトスワフスキ、ドビュッシー、ペンデレツキ。

彼がツィメルマンに夢中になり始めた頃、ツィメルマンの録音も買ってあげました。

ラファウはショパンについて全て知りたがった。アンナは、彼のために、トマシェフスキの洞察力に富んだ、分厚い本を与えた。

彼女の家族とラファウの家族は、一緒に演奏会やオペラを観に行った。
彼女はラファウに、8年間教えた。


ナクウォ市当局

私はナクウォの通りを歩いて、皆に天才音楽家がここで育っているんだ、と話したものだ。

- と、アンジェイチャク神父は思い出す。

彼はあらゆる関係者に働きかけ、ブレハッチ家を支援すべきだと訴えた。
ラファウがセカンダリースクールに行ったのは1ヶ月だけだった。学校では沢山の教科があり、練習の時間がとれなくなる。

ナクウォ市が、個人教育の援助金を出した。
ピアノの練習時間が確保できるように、全科目の教師達が、月曜から金曜まで毎日彼の自宅にやってきた。

- 僕に投資してくださったのです。そのことに、とても感謝しています。とラファウは言う。
- とてもやりやすいアレンジでした。

試験を受ける時だけ、彼は学校に行った。

- 友達と会う機会になったので、楽しかったですよ。とラファウ。
彼は中等教育終了証明をとるため試験を受け、まずまずの成績で合格した。


アンジェイチャク神父- 彼らはノートを閉じた。

2005年。ラファウは20歳だった。
アンジェイチャク神父は、フィルハーモニーホールで、審査員の後ろに座っていた。
素晴らしい場所だ。神よ、感謝します。

金曜日のことだった。3人のピアニストの演奏が予定されていた。
審査員は常にノートに何か書き込んでいた。
まず、ロシアのアンドレイ・ヤロシンスキが演奏した。審査員はメモをとった。
そして、韓国のイム・ドンミン。審査員はまた何か書き込んだ。

最後にラファウが登場し、ピアノの前に座った。ホ短調協奏曲の始めの何小節かがきこえた。
審査員はメモ取りをやめノートを閉じた。彼の演奏をききたかったのだ。


クリスティアン・ツィメルマン: 手紙

ラファウは、ニューヨーク市発の手紙を受け取った。
「自分のことを思い出しています。30年前のことでした。
今私は、君よりも、君のことがよく理解できます。」

(End)

*****
ビドゴシチ市のフェリクス・ノヴォヴィエイスキ音楽大学にて、カタジーナ・ボボヴァ=ズィドロン教授に師事して以降の別記事(ボボヴァ=ズィドロン先生の証言)もありますので、また機会を見て、ご紹介したいと思います。

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2012年8月28日火曜日

ラファウ・ブレハッチの先生方が語る(2)

2005年の12月に、ポーランドの Gazeta Wyborczaに掲載された、テレサ・トロヤンスカによる記事の続きです。
今回は、ラファウが生まれてから、6歳頃まで。息子に専門の音楽教育を与えるべきかどうか、ご両親の模索が続きます。

ラファウ・ブレハッチの先生方が語る(1)からの続きです。

***********

母: なので私は頑張りました。

女の子が生まれると予想されていた。出産予定日は1985年の7月5日。
レナータ・ブレハッチの友人は、口をそろえて言った。

-絶対、女の子よ。
もし女の子だったら、キグナという名前がいいわ。レナータ・ブレハッチが働いていた幼稚園の、とても可愛い生徒の名前だ。
6月29日土曜日、ブレハッチ夫人は、もう間もなくだと感じた。

-だめよ、もう少し頑張らなきゃ。もう少し待って。
その夜、友達がフランスの男性と結婚したので、彼女は結婚式用のドレスを着ていた。ナクウォの友人たちが皆集まっていた。

-なので、私は頑張りました。- と彼女は笑う。友人を祝福し、帰宅し、その後病院へ向かった。翌日ラファウが生まれた。日曜日だった。

-男の子。良かったわ。男の子だっていい。健康?神様、感謝します。
第1子の体重は 2,950 グラム。

-もちろん、可愛い子でしたよ。夫に似て黒い髪でした。
私は夫に電話しました。

-私たちの子に名前を考えなきゃ。あなた、すぐに考えて。

-ミハエル。- と夫は言いました。
-だめだめ。
-パウルはどうだい。昨日はパウルの名前の日だった。

-パウルっていう子供は多いですよ。- と助産婦が言う。
-とりあえずパウルがいいかしら。後で変えても。- とブレハッチ夫人。

-聖人の名前でなければ。男の子は守護神が必要よ。悪から守られるように。

私達はラジオ3を聴いていました。そして、解説者の名前が流れました。

ラファウ。良い声の人でした。
-聞いて。良い声よ。名前も良いわ。ラファウって、旅人や病人を守ってくれる天使の名前よ。


父:決してあきらめない。

クシシュトフ・ブレハッチは苦しかった時を覚えていない。
-いいえ、全く。不安?ありません。挫折?ありません。

-それは良いことだ。-とアンジェイチャク神父は思う。-それが現在の心の状態なのだから。
-しばしば - と彼は言う。-強くならなければなりません。諦めてはいけない。我慢しなければならない。そしてそれは大変価値あることなのです。

才能ある子供に教育を与えるのは、家族全員にとってのチャレンジだ。重要なのは、ロジスティックスを整え、温かい、安心できる雰囲気をつくることだ。

-お父さんの支えがなかったら、ラファウは成功できなかったでしょう。
と、音楽理論の教師アンナ・シャラプカは言う。
(注: ビドゴシチのアルトゥール・ルービンシュタイン音楽学校の教師。ラファウに8歳から15歳まで教えた。)

-全ての子供にこんな家族があり父親がいたなら、どんなにいいでしょう。賢くて、慎重で、大げさでなく心を配ってくれるような。

ラファウの父親は、短気になったり疲れを見せることは決してなかった。
しかし、彼は疲れていたと思う。とても疲れていたはずだ。
息子のレッスンには全部同行し、本を読んだり仕事の書類を片付けながら、教師のコメントは全部聞いていた。帰宅後、ラファウがピアノで練習するとき、注意事項を思い出させてあげるように。


ゾンマーフェルト - 偶然だった。

ブレハッチ家にはいつもピアノがあった。
曽祖父もピアノを弾いた。ユゼフという名で、ナクウォ近郊の村の小学校で教鞭をとっていた。祖父のチリルは、古いルード・イバッハ・ゾーンのピアノを弾いていた。

おじのロマンもとてもうまく弾けたので、家族のピアノをもらい受け、この楽器はトルンに行った。

ラファウの父親もピアノを弾くのが好きだった。
ゾンマーフェルトの楽器がナクウォに来たのは、偶然だった。
祖父の親戚が教師をしていたが、退職し、2階に引っ越さねばならなくなった。ピアノを移動するのは意味がないと思った。

-私達が買いましょう。- と父は決めた。- 家族の中に置いておくのです。
彼は、家にピアノがないと寂しいのだった。
こうしてゾンマーフェルトが家にやってきたのは、ラファウが1歳のときだった。

小さなラファウは3歳か4歳の頃から、それに興味を示し始めた。
しばしばピアノに近寄り、鍵盤に触って、押して、音を確かめて、録音したメロディを聞いていた。

-この子に何かした方がいいんじゃないか?とおじは言った。
-でも、どうすれば?



Orlen社"Rafal Blechacz"からお借りしました。
バッハコンクールで優勝(1996年、11歳)


資金不足の音楽センター

それは1990年のことだった。ラファウは5歳。
ナクウォは都会から離れた村で人口18000人。セカンダリースクールが1つあるきりだ。一番近い音楽学校は、ナクウォから32キロ離れたビドゴシチにあった。
こんな小さな子供を毎日ビドゴシチに連れていくべきだろうか。それも何年にもわたって。
それとも寄宿舎に入れようか?

-早すぎるわ。と母は言った。
-今はゼロ・クラスに行かせましょう。(=就学前教育)そして1学年に進めばいいわ。
今は彼を静かにさせてやりたい。

父親はラファウを、自分も通ったことのある、ナクウォの音楽センターに入れた。
ラファウを教えたのは、ヨゼフォヴィッチ、ビドゴシチから通勤してきた。彼はいろいろな作品を弾き、ラファウは耳で聴いて繰り返した。
彼はラファウに、高音部記号(ト音記号)で書いてある音符の読み方を教えた。

誰も、何者も、ラファウをピアノから離すことはできなかった。
彼は教会ではいつもオルガンの傍に座った。


先生:鳥はどんな風に歌うのか教えて。

ラファウが就学前の教育を終えたとき、両親は彼を専門家に見せようと決めた。このままナクウォの音楽センターに置いておくのか、真剣に音楽を学ばせた方がいいのか、決めてもらうのだ。

ビドゴシチの音楽学校に知り合いのいる人はいないだろうか。誰にアドバイスをもらえばいいだろう。ブレハッチ夫人の同僚の1人が、ビドゴシチの音楽学校で働いている人を知っていた。家族でこの人を訪問した。

その日はひどい一日だった。ラファウも両親も、覚えている。
ブレハッチ夫人は妊娠しており、真夏の週日だった。

ラファウはちょっといたずらをして母親にぶたれ、へこんでいた。
-それは書かないで。ブレハッチの家では子供を叩くのかって思われるじゃない?そうじゃないわ。しつけだったのよ。とブレハッチ夫人。

先生は、ラファウに ピアノを弾くようには言わず、「今日はどんなことがあったの?」 と訊いた。
ラファウはうそをつけず、話したくなくてだまっていた。 「これは何の音?」とピアノを鳴らすと、ラファウはしぶしぶ答えた。

-じゃあ、鳥はどんな風に歌うのか教えて。

先生は、 しばらくはそっとしてあげた方がいいけれど、もし音楽を学びたいのであれば、 ナクウォの音楽センターでなく、良い個人教師につかせるよう、アドバイスした。

ラファウの父は、ビドゴシチのハリーナ・ザレフスカの話をきいた。。良い選択かもしれない。


父:そこまでは、わかりませんでした。

家に戻って、父親はピアノを開き、1音を鳴らした。
-ラファウ。これは何の音?

-「ド!」 ラファウは部屋を駆け回りながら答えた。

-私は、次々と違う音を弾いてみた。ラファウは部屋を駆け回りながら、ピアノの方を振り返って答えた。間違いはなかった。

-2音で試してみた。ラファウは正しく答えた。和音もやってみた。ひとつも間違いはなかった。
 7音で--不協和音、かなりむずかしいはずだ。

-ラファウは、全部認識できました。
 絶対音感。 --これは、誰かが彼を教育するべきだという、サインでした。

-才能があると?

-いいえ。
クシシュトフ・ブレハッチは、慎重に、注意深く言葉を選んだ。

-当時はそこまではわかりませんでした。しかし、この音感の能力をみのがすべきではない、と確信しました。
(続く)

*****
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2012年8月27日月曜日

京都青山記念音楽堂でのチケット

ラファウ・ブレハッチの京都青山記念音楽堂(バロックザール)でのリサイタル(2013年2月8日)、
チケットは9月29日販売開始です。

サントリーホール、横浜みなとみらい、さいたま芸術劇場も、一般販売は9月29日からです。(会員等先行販売有り。)

青山記念音楽堂のページはこちらから。


来日公演全日程

2012年8月26日日曜日

羽衣の令嬢に捧ぐ想い、ドビュッシー展から

あちこちで評判を見聞きしている、ドビュッシー、音楽と美術、先日仕事帰りに寄ってみました。平日にもかかわらず、大勢の来場者がありました。
以後、かなりドビュッシーにはまっている私ですが、
土曜日の日経の夕刊で、青柳いずみこさんが、この一点として、紹介しておられました。


モーリス・ドニ「イヴォンヌ・ルロールの3つの肖像」(オルセー美術館
ドビュッシーはこの女性に「映像」というピアノ曲を捧げた。・・が、イヴォンヌは結婚してルアール夫人と名前を変える。失意のドビュッシーは「映像」をお蔵入りに・・
未刊の「映像」のうち、第2曲「サラバンド」だけは、少し音を変えて、「ピアノのために」に組み込まれ、改めてルアール夫人に献呈された。・・・

ちょっと印象に残る文章でした。

*****
ドイツ・グラモフォン FB
"Debussy's 150th anniversary - Another wonderful artist has released an album with works by the French composer this year...."

ラファウ・ブレハッチの先生方が語る(1)


2005年の12月に、ポーランドの Gazeta Wyborczaに掲載された、テレサ・トロヤンスカが書いたルポルタージュです。ラファウ・ブレハッチが幼少の頃から、音楽大学に入る前の15歳位まで、どんな風に才能が発見され、どんな音楽教育を受けたのか、その道のりが描かれています。ポーランドのファンの方が英訳してくれて、2009年始めに英語ブログに載せ、とても反響の大きかった記事です。

新しいファンの方も増えているようですし、この音楽家のバックグラウンドとして日本語化しておこうと思います。2005年12月現在の内容であることに、ご留意ください。また、今見直して、固有名詞など意味が明瞭でない箇所がいくつかあるのですが、ポーランド語のモト記事が既にウェブに存在しないため、確認できませんでした。ご了承ください。

長い記事ですので、3回に分けて連載します。

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旅の間は、手の置き場所に気をつけなさい。
ドアが閉まると、指を潰してしまうから。

私たちはラファウの父上と座り、ラファウの成功に寄与した人々のリストを作っていた。ラファウの母上がケーキを運んでくる。ラファウはホイップクリーム添えのパンケーキを勧めてくれる。
ナクウォのアパート。清潔で居心地がよい。
部屋の半分ほどを占拠するヤマハ。2年前、ラファウが日本のコンクールで得たピアノだ。ショパンコンクールの賞品のヤマハは、まだ届いていない。

ヤン・アンジェイチャク神父
-君はオルガニストになるといい。

何年のことでしたか?多分、1992年でした。

-私はクリスマス・キャロルを歌い、ブレハッチ家の人々に説教しました。
素晴らしい家族。祖父母と両親。小さなパウリナとラファウ。彼はその時7歳でした。

-何か弾いてごらん。君はオルガニストになるんだろう?

アンジェイ神父は素晴らしいバリトンの持ち主。音楽学校を卒業している。彼は、"God be with you and your spirit"を歌い始めた。

-どんな風に弾いてくれる?

そしてラファウはオルガンを弾いた。神父は次々と新しい調で歌った。ラファウは即興でついてきた。
アンジェイ神父の目に涙があふれる。

-ラファウのことを話していると、いつも胸がいっぱいになります。
私の人生でも、特別の、もう二度と起こりえない機会でした。

-彼を学校に入れるべきだ。と、私は父上に言いました。

神父はビドゴシチに赴任となり、当地の大聖堂に数年間勤めた。そこで、オルガニストのクリスティナ・クリニツカ教授を知った。

クリスティナ・クリニツカ - ラファウには才能があります。

彼女は全く無関心でやって来た。教会の司祭館で、ラファウの演奏を聴いた。
ラファウは父上に連れられてきた。彼は燭台が置いてある、古いフォルスターで弾いた。

-とても面白く和音をつけるのね。と彼女はラファウに言い、あなたの息子さんには才能があります、と父親に言った。
そして神父には、この子をナクウォに置いといてはいけない、と、ビドゴシチの音楽学校に入れるべきだ、と告げた。

学年の途中に?

彼女は、娘が音楽学校で師事したヤチェク・ポランスキーに会いに行った。ウィーンに行くが、合間に時間がとれそうだ。彼はラファウに会っても良いと言った。


Orlen社 "Rafał Blechacz"よりお借りしました
ヨアンナ・ブジェジンスカとヤチェク・ポランスキ:既に支払われましたよ。

-小鳥のように - と、ヤチェク・ポランスキはラファウのことを言う。-とても小さくて、とても細くて、ラファウはペダルに足が届かなかった。

彼はヨアンナ・ブジェジンスカと一緒に、ラファウの演奏を聴いた。ヤニナ夫人はピアニストで、 鍵盤楽器部門の学部長だった。現在はスイスに住んでいる。

-ラファウはお父さんと一緒にやってきました。8歳でしたが、就学前の子供のように見えました。
ラファウが何か話したか、彼女は覚えていない。多分話さなかっただろう、と言う。
なんだか、おずおずとした子供、という印象だった。

-何でも好きなものを弾いて、と私たちは言い、ラファウは、キャロルを即興で弾きました。

このレガートは - と彼女は考えた。- こんな風に弾けるには、普通何年もかかる。でもこの子はこれを内側に持っている。

-全く、あの小さな手が鍵盤で出来ることといったら!- ポランスキは、ラファウがどんな風に弾いたか見せてくれた。
-もの凄く器用に、指が他の指を越えるのです。

調和した、メロディアスなレガートの音を得るのに、ラファウはペダルを使わず、手で、別の技で行なった。

ブジェジンスカは感激し、泣いた。

-ヤチェクは大げさに言うんですよ。 - ヨアンナが泣いたのは、もう少し後。ラファウがヤチェク・ポランスキと、ハイドンの4手のためのピアノ変奏曲を素晴らしく弾いた時だった。また、モーツァルトのソナタは、成熟した演奏家であっても聴かれないような音色だった。

-とてもおかしなことですけど - と彼女は言う。
私のコンサートの後、ラファウはお父さんに、僕もあんな風に弾けるようになりたい、と言ったそうです。
そして今は、- と彼女は微笑む。- 私が彼のように弾きたいと願っています。

父親はヤチェク・ポランスキに尋ねた。

-(ラファウの演奏を)聴いていただいて、いくらお払いすればよろしいですか。

-既に支払われましたよ。とポランスキは答えた。彼はラファウを教えたいと思った。

学校に編入するには一連の手続きや入学試験を受ける必要があった。ブジェジンスカは学長に会いに行き、ラファウを直ちに受け入れるべきだと言った。どのクラスだってかまわない。1年生でも2年生でも8年生でも、空きのあるクラスへ。いずれにしても、彼は標準より早く終了するに違いない。


イヴォナ・ズィタとバルバラ・ヤレツカ:才能ある子供はたくさんいる。

父親は廊下で待っていた。そして2人の女性、イヴォナ・ズィタとバルバラ・ヤレツカが規定に従ってラファウの試験をした。聴く力とリズム感を確かめる必要があり、子供は教師の指示どおり、手をたたいたり、リズムを打ったり、歌ったりしなければならない。極めて才能ある子供を評価するのに、これが果たして適切な方法だろうか?

入学試験では本物の才能は発見できない。才能ある子供は控えめで自分のスキルをその場で売り込むようなことは苦手だ。ヴェルディはミラノの学校に入れなかった。

-さあ、何を歌ってくれるのかな?- ヤレツカはラファウに尋ねた。

-僕、歌えません。- 彼は答えた。
ラファウは、現在も、歌は歌わない。

-歌うのは好きじゃありません。-とラファウは言う。- 人前で歌うのは恥ずかしいです。

- じゃあ、何か弾いてみて。
そこで彼はオルガンの旋律を何小節か、バッハを2,3分弾いた。とてもシンプルな曲だ。

-とても深く音楽に入り込み、集中していました。-とヤレツカは述懐する。
-こんなに才能ある子供に会ったことはありませんでした。

-それから - と少し躊躇しながら、言う。- 才能ある子供は大勢います。彼らの将来がどうなるのか、全ては人生の途上で出会った教師にかかっているのです。

ラファウは2年生への編入が認められた。ヤチェク・ポランスキが担当教師となった。
(続く)

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南仏のスケッチ画

ウェブ上で偶然目にしたブログです。
ラファウ・ブレハッチは先月、南仏で2回コンサートで演奏しましたが、そのうちの1回、マントンの演奏会の様子を、聴衆の方が水彩画で書いていらっしゃいました。海に近い教会の前庭というロケーション、会場の雰囲気が伝わる素敵な写真も何枚か。
ラファウ・ブレハッチは、ベートーベンのピアノ協奏曲第2番を演奏しました。来シーズンに頻繁に弾くことになるレパートリーです。

こちらから。

2012年8月22日水曜日

Happy Birthday Claude Debussy

English

“Music Is the Silence Between the Notes” (Claude Debussy)
「音楽とは、音と音の間の静寂のことである。(クロード・ドビュッシー)」

今日はドビュッシーの150回目の誕生日です。

ドビュッシー「ピアノのために」より「サラバンド」、ラファウ・ブレハッチ



ブレハッチとドビュッシー


--あなたの「ベルガマスク組曲」の「バスピエ」の演奏は素晴らしい。この小曲から本物の傑作を構築していらっしゃいます。信じられないほど曲を純化し、天与の軽やかさで弾いていらっしゃいますね。

「ドビュッシーの音楽は、特別で古典的な特徴がありますが、ドビュッシーで最も重要なのは、極めて繊細な色彩感覚で、曲のアゴーギクに大きく影響しています。”パスピエ”も、”ベルガマスク組曲”全体も、本当に美しいですね。私はこの組曲を演奏するのが、本当に好きですなんですよ。ショパンコンクールより以前に出したデビューアルバムに、この曲も入れました。今後のアルバムには、是非こうした印象派の作品を取り入れるつもりです。」

ラファウ・ブレハッチ、ポーランドラジオとのインタビュー、2009年7月

(注)前アルバム「ショパンピアノ協奏曲」の録音を終えた直後に行われたインタビューでした。


2012年8月18日土曜日

ラファウ・ブレハッチ来日公演(2013年2月)スケジュール

ジャパン・アーツのウェブサイトに、ラファウ・ブレハッチの来日公演(2013年2月)、全7回のリサイタルのスケジュール・情報が載っていました。

ジャパン・アーツのウェブサイト

また、本日発売の「月刊ショパン9月号」も、来日公演スケジュールの記事を掲載しました。82ページ

2013年2月
 1日 武蔵野市民文化会館 19:00 [A]  完売
 2日 彩の国さいたま芸術劇場 16:00 [B]  完売
 3日 大阪ザ・シンフォニーホール 15:00 [B]
 5日 サントリーホール 19:00 [B]  
 8日 京都青山音楽記念館(バロックザール)  19:00 [A]  完売
 10日 横浜みなとみらいホール  14:00 [A]
 11日 愛知県芸術劇場  14:00 [A]  完売

(曲目A)
J.S.バッハ:パルティータ第3番イ短調
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第7番ニ長調Op.10

ショパン:夜想曲第10番変イ長調Op.32-2
ショパン:ポロネーズ第3番イ長調op.40-1「軍隊」 / 第4番ハ短調op.40-2 
ショパン:3つのマズルカ Op.63 
ショパン: スケルツォ第3番嬰ハ短調 Op.39 

(曲目B)
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第7番ニ長調 Op.10
シマノフスキ:ピアノ・ソナタ第1番ハ短調 Op.8-1

ショパン:夜想曲第10番変イ長調Op.32-2
ショパン:ポロネーズ第3番イ長調op.40-1「軍隊」 / 第4番ハ短調op.40-2 
ショパン:3つのマズルカ Op.63 
ショパン: スケルツォ第3番嬰ハ短調 Op.39 




**ブログ記事について、お問い合わせ等ありましたら、こちらにお願いいたします。

2012年8月17日金曜日

ラファウ・ブレハッチのサントリーホール(2013年2月5日)のチケットは、9月29日一般発売

「チケットぴあ」及び「月刊ぶらあぼ9月号」によれば、

ラファウ・ブレハッチのリサイタル@サントリーホール(2013年2月5日)、
チケット発売日は、9月29日です。

チケットぴあ

サントリーホールweb

同じく9月29日に、横浜みなとみらいホール(2月10日)、彩の国さいたま芸術劇場(2月2日)のシングルチケットも一般発売になります。(会員等の先行発売も有り。)



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2013年の日本・韓国ツアー
ラファウ・ ブレハッチの2013年2月の来日ツアーのスケジュールのうち、わかっている分です。約2週間に、計7回の演奏会を予定。


2/2     彩の国さいたま芸術劇場 

2/3    大阪ザシンフォニーホール 

2/5      サントリーホール  

2/10   横浜みなとみらいホール 

2/11     愛知県芸術劇場 


☆主催者から既に発表になっているものは、会場情報等のリンクを貼っておきます。他にも日本で2ヶ所計画中のものがあるとのことなので、はっきりしたら追加します。


2012年8月16日木曜日

ブレハッチの鬼技術

English

ラファウ・ブレハッチの弾く、このハノン、最近ピアノを弾く方々の間で話題になっているのを目にします。

インタビュービデオ、ハノンは7分28秒頃。

彼が弾くと、ちょっと異次元のハノン。

ブレハッチの音の粒の揃い方は、一流のピアニストの方々の中でも特に素晴らしい~と、昨日、メッセージ交換していた、あるアマチュアピアニストの方がおっしゃっていました。

発端は、私がとある演奏会で、演奏会開場直前に耳にした、ブレハッチの弾くスケール。あまりにも粒がそろい、力強い音の超高速の物凄いスケールが、開いていないホールの中からどおーっと響いてきたので、一瞬何の楽器だ?という感じだったのです。

今でも演奏前に指慣らしにスケールやハノンを使うと言われているラファウ・ブレハッチ。思い出したのが、2007年10月に「ムジカノーヴァ」に掲載されたインタビューです。彼が子供の頃、10代の頃、どんな風に練習してきたのか、が主な話題でした。聞き手は真嶋雄大さん。

(小学校と並行して通ったビドゴシチのルービンシュタイン音楽学校にて師事した、ヤチェク・ポランスキー先生について)

「本当にすばらしい先生でした。最初はバッハから始まりました。プレリュードとフーガです。古典派ではハイドン、モーツァルト、ベートーベンのソナタを勉強しました。初コンチェルトはバッハのイ長調でしたね。テクニックを向上するための、短いけれど効果的な作品、例えばメンデルスゾーンの6つの子供の小品op.72や、指の運動性能に役立つエチュード、またポーランドの作曲家モシュコフスキーの小品をたくさん練習し技術の向上につなげました。」

他にも教則本は、チェルニー、クレメンティを使い、さらにハノンにも取り組んだ。現在ドイツ辺りでは、ハノンを使用する教師は少ないと聞くが、ブレハッチは現在も練習の最初には指慣らしとしてハノンに向かう。その後は並行してショパンのエチュードなどを与えられたが、・・・
(以上抜粋)











こうして、彼の技術の基礎が生まれたのでしょうか。海外のレビューなどを見ていても、素晴らしいとか奇跡のような、とかを通り越して、diabolical skill とか、devilish speed とか、ときどき呼ばれています。(悪魔の技能、鬼の速度。)

同じくムジカノーヴァ(2007年)の記事から
(ブレハッチが語る、思い出に残る恩師の言葉)

「指定されたテンポで弾くだけだと、ミスをしたり表現しきれないところがどうしても残ってしまいます。ゆっくりのテンポから、一つ一つの音を確かめて演奏することが大事。遅め、中庸、少し早め、などさまざまなテンポで弾けるようになってから、初めて本来のテンポで弾くようにしなさい。そうすることが、実は最も近道なのです。」(ヤチェク・ポランスキー)

そして最近のブレハッチの言葉(上記ビデオより)

「体系だった練習、毎日の努力、これを積み重ねることで、技術的な側面からは欠点なく作品をマスターすることができます。これによって、後に演奏で一番大切なもの、音楽作りが可能になります。様々な興味深いディテール、音の色彩、研究、などなどに入ることができます。・・・ イグナツィ・ヤン・パデレフスキは、90%が努力、6%が才能で4%が運だと言いました。僕もだいたい同じだと思います。」

*****
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2012年8月15日水曜日

ラファウ・ブレハッチの今年前半の演奏会から~ベートーベンピアノソナタ第7番(イタリア、ドイツ、フランスのレビュー)

English

ブレハッチが演奏するベートーベンのピアノソナタ第7番op.10-3、とりわけ第2楽章 "Largo e mesto" は、このブログを書いていて今年今日までで一番印象に残った話題のひとつです。彼が正式の演奏会で初めてこの曲を演奏した、今年3月2日のトレントでのリサイタル・レビューを一部アップします。モト記事は著作権保護がかかっているので、一部のみ、プログラム前半のバッハとベートーベンに係る部分に限定します。来年2月の来日公演で演奏する可能性があります。

Original review

ラファウ・ブレハッチ、ピアノの至高の魂・・・厳密さと思慮深さと熱意を合わせ持つこの希少価値ある演奏家は、全てのレパートリーを素晴らしく解釈する。同国の傑出した作曲家フレデリック・ショパンへの自然な愛着を持つ彼が、今宵音楽に潜入し、バッハのパルティータ第3番イ短調を通じて語りかける――デカルト的明晰さ、音やフレージングの明瞭さ、様式の純粋さ。まさに音楽のための音楽。ブレハッチの格段の技術のおかげで、バッハの複雑なポリフォニーがシンプルに聴こえ、明快でわかりやすい話し方となり、交互に現れる声部は忠実に様式の構造を追うが、彼の内面から精妙な表現が、時空を流れる劇的な叙情詩のように湧き出てくる。最も叙情詩的な瞬間を鍵盤に再現する際の彼の流暢なフィンガリングと鮮やかさ、驚異的な技術によって、彼は古典派の時代の作曲に正確に対応し、驚くべき成熟度で再現する。彼の手によって、ベートーベンのピアノソナタ作品10-3は、とらえどころのない部分が明らかにされる。

大きなオクターブのパッセージで始まるプレスト、第一主題を通じて聴かれるアルペジオと槌を打つような和音は、卓越した技術を強調する。しかし、ゆったりとしたテンポのLargo e mesto は、このベートーベンのソナタ全体の中で最も強烈に表現豊かな楽章で、痛いほどの叙情詩として私たちに落ちてくる。永遠の抑制できない悲哀に満ちた、微細で静かな詩は、彼の最も完璧な構成によって、作曲上意図されたとおりのものを見出す。緊張感が短いメヌエットでやわらぐ。最終章のロンドは初期のテンポと連関しており、中高音域に広がるコロラトゥーラを、ブレハッチは音の動きによって振り付ける。
(抜粋以上)

Trento Cathedral and Piazza Duomo












こちらは、4月27日の、シュトゥットガルトでの演奏会レビューから。

レビュー全文(英訳)

「ベートーベンのソナタ第7番ニ長調作品10/3、特にLargo e mestoでは、ブレハッチの非凡な才能が明白だ。彼は、スローな楽章で使われがちな、従来型のエスプレッシボの使用を避け、この楽章の痛切なまでに響く表現を、形而上的な(霊的な)次元にまで高めている。この若いピアニストが同世代の演奏家に比べ、深く音楽を見ることができると感じられるのは、この曲にとどまらない・・・」

****
そして、6月12日、パリのサルプレイエルでの演奏会レビューから。

レビュー全文(英訳)

「・・・人間的な、絹のような光溢れる音色。この官能的ともいえるほど色彩あるバッハにおいて、楽譜に対する理論的な研究が全て、表現のための手段となっている。この様式によるベートーベン作品の重要な分岐点となり、ちょうど「悲愴」の直前にあたるソナタ第7番ニ長調作品10-3は、よく知られた、あるいは頻繁に演奏される作品ではない。
とても繊細なパッセージ、多くの箇所で動きを見せる。とりわけ彼の広大なLargo は雰囲気が様々に変化し、深い郷愁の瞬間や軽やかさを感じさせる瞬間とがある。タッチはいつも奇跡的。ブレハッチは鬼のような技能でこの会話に入り込み、やすやすとドラマや誘惑を片付け、とりわけこのゆったりとした楽章の複雑な構造ゆえに、私たちを感動させる。まるで、ショパンのロ短調ソナタを弾くときと同じように。」

*****
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2012年8月9日木曜日

ドビュッシーを弾く時の色彩――ラファウ・ブレハッチ、ドイツでのインタビュー

English

ドイツの Fono Forum  2012年5月号に掲載されたインタビューの一部です。
最初の部分のみ、オンラインで公開されていました。タイトルは、

"有名になることは、僕の人生の目的ではない"


Fono Forumでのオリジナル記事

(Quote)
シマノフスキとドビュッシーに、特別の関係を感じますか。 

2人の作曲家に、とても近い感じを持っています。ショパンコンクールの前、僕はドビュッシーをたくさん演奏しました。これによって、ショパンの音楽の音や陰影に敏感になりました。シマノフスキは、素晴らしい変調やメロディに魅了されました。スクリャービンの感化を受けたダイナミクスの対比や和声は典型的ですね。―例えば、前奏曲の始めの部分は、長調なのか短調なのか区別ができません。僕にとって、2人の作曲家は、印象主義と表現主義の違いを明確に示しています。


あなたは、シマノフスキの初期の表現主義時代の作品を、とても感情を込めて演奏していらっしゃいます。でも、決して音楽の中で自分を見失わないようですね。

おそらく、彼の第1番ソナタの中に、古典派的様式を見ているからだと思います。第1楽章はアレグロで、第1主題と第2主題が互いに対比し合うような構成になっています。第3楽章はある種のメヌエットで、第4楽章はフーガです。バッハのような典型的な形ではないにしても、非常にポリフォニー的な思考が現れています。こうした古典派的な要素が僕の解釈にかなり影響しています。音色もそうですし、ダイナミクスの対比もそうですね。


あなたのパーソナリティも影響しているのではないでしょうか。

そうかもしれません。アーチストはそれぞれ、音楽へのアプローチは異なっていますから。よく音の強さや音量に基づいて音色を明確にしますが、ダイナミクスの対比も、とても大切です。ですが、それが全てでもないんです。音楽作品のそれぞれの特徴に対して、僕はまず、特有の色彩を見つけます。そこから、アーティキュレーションやペダリングが決まってきます。時として、銀色か金色がかった音を作りたいときもあれば、別の時には、鮮明で強烈な、あるいは堅牢な音がふさわしい場合もあります。例えば、ドビュッシーの「塔」では、銀色がかった、東洋的な響きがします。3ページ目に、何小節かにわたって、右手が旋律を弾き、その間左手は、2つの音のシンコペだけで寄与する部分があります。ここの音色は比較的暗く柔らかくて、他の部分とは明らかに対比をなしています。


あなたは、共感覚の持ち主ですか。

はい。例えば、イ長調ではある種の黄色が見えますし、ニ長調だと、青ですね。しかし、実際の音楽によっては全く異なった色を感じることもあります。自分の心の中では、全ての調が特定の色を持っているわけではありません。想像力に近いものです。

ドビュッシーのピアノの音は、例えばベートーベンの音とは違う響きとなるべきでしょうか。

もちろんそうです。ドビュッシーとシマノフスキの曲を録音しようと決めた時、多様な色彩や陰影を表現でき、かつ、大きな音量も出せて、低音が力強く、高音が歌えるような楽器を探しました。そして、ハンブルクでの初めてのリサイタルで弾いたことがある、ライスハレの楽器を選びました。更に、整音について、調律師の方と話し合いました。彼はハンマーの先のフェルトに、針刺しを使って整音することで**、よりソフトな音色を作ることができました。とても素晴らしい調律師で、すべて僕が思っていたとおりの調整をしてくれたおかげで、ピアニッシモでも綺麗な色を出すことができたのです。


ドビュッシーの良い弾き手となるには、どんな資質が必要でしょう?

音の色彩が重要だと、既に話しました。例えば、「版画」の「雨の庭」には、とてもドビュッシーらしい、面白い箇所があります。右手はある種のメロディを弾いて、その音色は朝露を彷彿とさせますが、一方左手は伴奏しています。僕の考えでは、各声部には独自の色を持たせます。右手が露の水滴を弾くのであれば、僕は銀色がかった色にしたいですね。それがやがて陽の光に透かされて最後は金色になります。もちろん、ドビュッシーにもヴィルトゥオーソ的な要素はたくさんありますが、リストなどとは性質が異なります。例えば、「喜びの島」では、ヴィルトゥオーソ的な要素は全部、銀色か金色の靄で覆うのがいいでしょう。


それは、演奏技術にとって、どんな意味がありますか。

アーティキュレーションは、もちろんバッハとは異なります。暗い音色には、指のテンション(Fingerspannung)はあまり強くなく、動きも慣性にまかせます。僕は時々、音を軽くするために、左右のペダルを5分の1だけ踏みます。




音楽評論家は、あなたの演奏を、明瞭、透明、ノーブルといった言葉で表現します。これで良いと思いますか、あるいは他の側面が足りないと思われますか?

作品によりますね。ウィーン古典派の曲の演奏であれば、それで良いですし、ショパンでも一部の曲は良いと思います。しかし、例えばドビュッシーの「グラナダの夕べ」のような曲の場合は、内面の緊張を表現することがとても重要になります。詩情も音楽では大切です。ですから作品の性格によって違いますね。


 "Zeit online" のインタビューで、あなたは物議をかもすような演奏は好きではない、とはっきりおっしゃっていました。

それは、全く相容れないところです。物議をかもす、というのは、作曲家のことは考えずに、自分のアイディアだけ考えて作品には配慮しない、という意味にとらえます。これは危険な道です。


一方で、グレン・グールドのようなエキセントリックな天才の話がいくつもあります。

個々の解釈で大切なのは、作曲家の作品に敬意を払うことです。作曲家の意図に従っても、解釈に自分のアイディアを自由に入れることは可能です。作曲家と自分のパーソナリティとを連携させるのです。作曲家とアーチストとの狭間で闘う必要などありません。


演奏家の独自バージョンはどう思いますか。ウラディミール・ホロヴィッツによる、ラフマニノフの第2番ソナタのような。

あなたは、好きですか?

確かに面白いとは思います。

何が正しい解釈法なのか、説明はむずかしいですね。他の演奏家の演奏会を聴きに行ったことがあります。始めのうちは、「僕だったら違う弾き方をする。」と思うのですが、聴いているうちに、突然その解釈、いいな、と思い始めます。奇妙ですが、もしアーチストが強い個性の人だったりすると、彼のアイディアを受け入れてしまうんですね。いつも全部受け入れる、というわけではありませんが。ただ、とても論議を呼ぶような演奏ですと、自分の中では受け入れがたい、という時もあります。例えば、グレン・グールドのモーツアルトがそうです。でも、グールドのバッハだったらどうでしょう?

... 彼のゴルトベルク変奏曲は素晴らしいと思います。

僕もそう思います。それから、もちろん、その演奏が行われる「時」によっても違いがあります。コンサートでその時限り聴く場合は良いけれども、CDで聴く場合はむずかしい解釈、というのはありえます。

(Unquote)
ネットで公開されているのはここまでです。

*****
最後の部分で、彼が2007年にビドゴシチの音楽アカデミーを卒業し修士をとった際の論文についての記事を思い出しました。テーマは、「コンクール、ステージ、スタジオ録音での演奏の特異性について――ラファウ・ブレハッチ、グレン・グールド、クリスティアン・ツィメルマンを例に。」

*****

シマノフスキ「前奏曲」の最初の部分








2012年8月6日月曜日

ブレハッチのドビュッシー、吉田秀和さんの文章より

レコード芸術2012年4月号の吉田秀和さん「之を楽しむ者に如かず」
○フランス音楽とはなんだろう?――ブレハッチを聴いて――より

ブレハッチのアルバムを切り口に、深淵で美しい音楽作品の世界の旅に導かれるようなエッセイでした。ブレハッチへの言及は最初のほうです。今年の記憶のために、ごく一部のみ、引用させていただきます。

*****
・・・ショパンコンクールで世の中に出るようになったピアニストといっても、なるほどうまいピアニストには違いないが、ショパン弾きというのとはちょっと違うのではないかと思わせる人がつぎつぎ出てくるような時代になったような気がしている昨今、このブレハッチという人は、きいていて、なんだかショパンを思い出すような気配のあるピアノをひく人だなという気持ちをそそられたのをかすかに思ったのだった。
その後しばらく彼のことは忘れていたが、最近新しいCDが出たと、ひとにすすめられてきいてみた。・・・・

・・・(ドビュッシーの)最初の「前奏曲」をかけてきき出した途端「へえっ」と思った。すごく歯切れの良いというか何というか、威勢の良い口調で啖呵を切っているような出だしである。そうして、その威勢の良さはそのままずっと続く。こんな歯切れの良いドビュッシーは初めて聴いた。

音もきれい。

長い間きき慣れてきたフランスのピアニストたちのきかせてくれたドビュッシーとはずいぶん違う。絵画でいえば、モネやルノワールら印象派の人々の淡い霧のかかったような柔らかいトーンの音楽より、むしろ、スカルラッティか何かから出て、プロコフィエフにつながってゆくみたいな――少し誇張していえば、ね――スカッとダイナミックな音楽になっている。これをきいていると、・・・・そんな違ったひき方の人にこれまであんまり出会ったことがなかったのではないかと反省しないわけにいかなくなる。・・・




・・・とにかくこのブレハッチのドビュッシーは、私たちがこれまでききなれて来た若いドビュッシーから思い切って離れた、小気味のよいくらい若々しいドビュッシーになっている。

私など、はじめのいくつかの音がきこえはじめた時は、「これで良いのかしら?」とびっくりし、きき終えた時は、「フランスの音楽院の偉い先生方に叱られなかったかしら?」と、もう一度、誰かにきいてみたくなった。

・・・(版画は)それでも、こちらはさすがに少しあとで書かれた曲だし、演奏もちょっと常識的なものに近くなっているので、きいた途端胸がドキドキするようなことはなかった。と同時に、前回書いたアニー・フィッシャーのベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番のことを思い出した。・・・・・

・・・フルトヴェングラーは大指揮者だったが、彼のベートーヴェンが常に――未来永劫に――亀鑑であるというわけにはいかない。音楽とはそういうものなのだ。変な理屈をこねてしまったが、ブレハッチの演奏する若いドビュッシーに、私は久しぶりフランス音楽とは何だろう?と考えたくなってしまった。・・・
(引用以上)

*****
英グラモフォン誌がブレハッチのこのCDを、Recording of the Month(2012年5月)に選んだときのレビューでは、ドビュッシーの前奏曲出だしについて、次のように評価しています。

Track 1: 「ピアノのために」の「前奏曲」 0’00”
「ブレハッチのアタックは前例がない弾き方だが、実はドビュッシーの指示に忠実に弾いている。:non legato, assez animé et très rythmé (ノン・レガートで、充分活き活きと、極めてリズミカルに。)


*****

「前奏曲」の歯切れの良い出だし。



*****
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2012年8月1日水曜日

リサイタル・レビュー(フランス)

English

7月25日付けル・モンドより、ラファウ・ブレハッチのリサイタル@ラ・ロック・ダンテロンのレビューの抜粋です。

Original review


(Excerpt)

ポーランド人ラファウ・ブレハッチがポーランド的ショパンを演奏

ラファウ・ブレハッチは、まるで誰かとの約束に遅れたかのようにステージに現れた。聴衆へ急いでお辞儀をすると、すぐにバッハのパルティータ第3番イ短調BWV827をアタックし始めた。いや、アタックというのは適切な言葉ではない:ブレハッチのピアノはシャープかもしれないが、鍵盤を攻撃するような類ではない。バッハを弾く彼のピアノは、ハープシコードのタッチを思わせる。ドライポイント風の流暢さと平らに広がるベルベット。彼の言葉は正確で洗練されている。彼は強い和声を存在させ、ピンと張った糸のようなメロディを組み合わせる。キャンバスに描く、ポリフォニーの芸術だ。

・・・2005年ワルシャワの第15回ショパンコンクールで圧倒的優位性を見せて以来、彼はフランスのメジャーなホールで定期的に演奏してきた。マウリツィオ・ポリーニ(1960年)やマルタ・アルゲリッチ(1965年)のキャリアを決定づけたコンクールで、である。

.ベートーベンのソナタ第7番作品10-3は、ほとんど演奏されない作品だ。そのモーツアルト的な雰囲気、彼の明瞭なアーティキュレーション、「ラルゴ・エ・メスト」でのショパン以前のスタイルの抑揚、彼の端正な「メヌエット」、最終章「ロンド」での彼のユーモア、この曲は実に、ラファウ・ブレハッチの”認定された”指に適した曲といえる。

後半はブレハッチの国の作品へ:バラード第1番作品23とポロネーズ作品26。彼はポーランド人の理解に従ってショパンを弾く:マンネリズムやわざとらしさのない、しかも運動能力の誇示もない。重み付けや小節や風景や意図が次々と展開される。輪郭のはっきりとした色彩や連続する出来事が音楽に視覚を与える・・・

*****
公開されているレビューはここまでです。記事を全部見るには、ル・モンドのサイトへ購読登録する必要があるようです。


こちらから、ブレハッチの弾くバッハパルティータ第3番を、少し聴くことができます。4月の、オーストリア、ヴェルスでのリサイタルより。


*****
Konzertdirektion Schmid (ブレハッチのドイツ、イギリスのマネジメントオフィス)が、月刊ニュースレターで、ブレハッチのECHO Klassik 2012 受賞をレポートしています。