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2012年9月17日月曜日

Non plus ultra! (至高のアルバム!) ~CDレビュー(ポーランド)

English

ラファウ・ブレハッチのCD「ドビュッシー・シマノフスキ」のレビュー、ウカシュ・カチマレク氏が書き、 Muzyka 21に、2月に掲載されました。
ドイツやイギリスでのレビューがドビュッシーの曲に焦点を当てがちなのに対し、ポーランド発のレビューはやはりシマノフスキ中心のものもあります。私にとっては、最も参考になるレビューのひとつでしたが、2-4月にかけて、このアルバムのレビューの数がなにしろ多くて、日本語にまで全く手が回らなかったのです。

Original review (かなり下の方になります)。

 (Quote)

ラファウ・ブレハッチの最新アルバム

ラファウ・ブレハッチの最新アルバムは、クロード・ドビュッシーとカロル・シマノフスキの音楽、印象主義と表現主義を組み合わせている。同時期に作曲された作品だが、2つの全く異なった世界を示している。この大きな対比を示すことが、アーチストの主な目的だ。

このCDに入っている作品の中には、ブレハッチが長年にわたってレパートリーとして演奏してきたものもある。両作曲家ともに、あまり演奏機会のない作品だ。ドビュッシーの「ピアノのために」「版画」「喜びの島」は、ギーゼキングやリヒターをはじめ、比較的多くの録音が存在するが、カロル・シマノフスキの前奏曲とフーガ嬰ハ短調と、ト短調ソナタ作品8は、イェジー・ゴジシェフスキによるポーランド・ラジオの録音を除いて、一般的に他国のレコード業界では入手できない。ラファウ・ブレハッチの手によって、この初期の素晴らしい作品が、幅広い音楽愛好家の元に届くのだから、彼にはより大きな賛辞を贈りたい。

今、私は、自らの責任において、意見を表明したいと思う:カロル・シマノフスキのピアノ・ソナタは傑作だ!この古典的なソナタの構造の第1楽章アレグロにおいて、当時の表現主義のエッセンスを構成することが可能だ。極めて動揺した、多種多様な、しばしば合矛盾する感情が積み重なっている。この危険な作品は、弾き手にも聴き手にも息つく間を与えない。この楽章の展開でのセンセーションを通じて(多くのダイナミクスの変化があり)、常に集中し注目する必要がある。そしてブレハッチの演奏によって、この作品はなんとワイルドになることか!第2楽章ロンド形式で、中間部にとてもドラマチックなパラグラフがある。美しいメロディラインを保つことで、ブレハッチはここにショパンの系譜を巧みに示している。第3楽章(テンポ・ディ・メヌエット)は一転して抗えない魅力にあふれている。ブレハッチの弾き方はは心の琴線に触れるようだ。

ソナタの第4楽章は最後の盛り上がりを示すフーガだ。3声の力強い、スケールの大きなフーガで、2つのテーマから成る。ここにおいて、和声の熟達した技能が示される。皆様方に特に注目いただきたい瞬間がある。612小節。無謀なスピードのオクターブが続いた後の、これは啓示のように響く。

フーガ全体が、若いシマノフスキによる感動的で才気あふれる最終楽章となっている。この傑作が、ラファウ・ブレハッチの卓越した演奏によってさらに強調されている。第4楽章では、アーチストは本物のヴィルトゥオーソ性を見せただけでなく、優れた空間的、ポリフォニックと構造への思考を示している。ここに、全ての要素が完璧にバランスをとっている。


非常に感動的な612小節
このアルバムには、シマノフスキの曲がもうひとつ入っている。「前奏曲とフーガ嬰ハ短調」だ。「前奏曲」では、協奏交響曲(交響曲第4番)の要素が明確にきこえる。真の意味での表現主義音楽であり、揺れ動き、ダイナミクスの強い対比がある。ピアニシモで始まり、フォルテシモは突然終わる。

「フーガ」では、シマノフスキは素晴らしい魅力と繊細さというテーマに専心し、非常に優れた対位法を付加している。これもダイナミクスという意味では強い対比を出しているが(pppからfffまで)、表現としてはずっと穏やかだ。作品全体が複雑な感情の起伏を見せるが、ラファウ・ブレハッチによって、様式上の規律を失うことなく正確に捉えられている。とりわけ興味深いと思われるのは、作曲家が楽譜に書き残した原則的な内容を、このアーチストは完璧に認識し、その範囲外へ行ったりしないことだ。では、ブレハッチの場合、彼の聡明な読譜は何を意味するのか?

まず、ブレハッチは分析をしない。つまり作品から主要な要素を分け剥がすことをしない。彼は聴き手と共に学ぶようなことはせず、彼が聴き手に語りかけ、伝える。きっちりと設計し熟考したやり方で作品を演奏するタイプのアーチストだ。このことは、この聴き手があまり知らない2つの曲にも、またクロード・ドビュッシーの曲にもあてはまる。

ここで、ブレハッチの音色はガラスプレート上の水のように純粋だが、実験室でこのような音は決して作れない。彼の演奏は極めてピアニスティック。伝統から逸脱することは決してない。ドビュッシーの作品を演奏する際の重要な伝統からも、そして、つまるところショパンやロマン派に由来する、ドビュッシー音楽の伝統からも。

「ピアノのために」では、ブレハッチの音は澄み渡り、明瞭だが温かい。彼の解釈は幾分控えめでとても温和、深い感性に裏打ちされている。ラファウ・ブレハッチは、自分の指から来る全ての音を聴いている。。「喜びの島」の解釈でも同じことが言える。「版画」の演奏は、さらに感慨深い。「塔」のペースは完璧にバランスがとれ、ちょうど5分。(ギーゼキングは濃縮した4分10秒、分析的なリヒターは6分10秒)。そして、なんて美しいソフトなトリルなんだろう!「グラナダの夕べ」で、アーチストは巧みにハバネラのリズムを強調し、これがとてもシャープになることもある(7小節からの左手)。
一方、「雨の庭」は、ブレハッチの指によって、雨は激しく打つ。十六分音符は短く弾かれ、この作品は厳密だがポリフォニックに響く。とても興味深いコンセプトと示唆に富む解釈だ。

Non plus ultra! (これ以上は不可、頂点の意味)


(Unquote)

*****
来年の来日公演で、(現在発表されている曲目を前提として)、バッハもシマノフスキも聴きたいと、2ヶ所へ行こうと考えている方も多いようです。シマノフスキが(今のところ)予定されている3つの会場のうち、さいたま芸術劇場は、席数が604と比較的小規模で、この曲を聴くには一番迫力があるかもしれませんね。ラファウ・ブレハッチは小さな会場でもあまり音量を落とさない方ではないかと思いますし、音が平準化される傾向のある大ホールより、1音もらさずきける(ような気がします。)