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2012年8月26日日曜日

ラファウ・ブレハッチの先生方が語る(1)


2005年の12月に、ポーランドの Gazeta Wyborczaに掲載された、テレサ・トロヤンスカが書いたルポルタージュです。ラファウ・ブレハッチが幼少の頃から、音楽大学に入る前の15歳位まで、どんな風に才能が発見され、どんな音楽教育を受けたのか、その道のりが描かれています。ポーランドのファンの方が英訳してくれて、2009年始めに英語ブログに載せ、とても反響の大きかった記事です。

新しいファンの方も増えているようですし、この音楽家のバックグラウンドとして日本語化しておこうと思います。2005年12月現在の内容であることに、ご留意ください。また、今見直して、固有名詞など意味が明瞭でない箇所がいくつかあるのですが、ポーランド語のモト記事が既にウェブに存在しないため、確認できませんでした。ご了承ください。

長い記事ですので、3回に分けて連載します。

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旅の間は、手の置き場所に気をつけなさい。
ドアが閉まると、指を潰してしまうから。

私たちはラファウの父上と座り、ラファウの成功に寄与した人々のリストを作っていた。ラファウの母上がケーキを運んでくる。ラファウはホイップクリーム添えのパンケーキを勧めてくれる。
ナクウォのアパート。清潔で居心地がよい。
部屋の半分ほどを占拠するヤマハ。2年前、ラファウが日本のコンクールで得たピアノだ。ショパンコンクールの賞品のヤマハは、まだ届いていない。

ヤン・アンジェイチャク神父
-君はオルガニストになるといい。

何年のことでしたか?多分、1992年でした。

-私はクリスマス・キャロルを歌い、ブレハッチ家の人々に説教しました。
素晴らしい家族。祖父母と両親。小さなパウリナとラファウ。彼はその時7歳でした。

-何か弾いてごらん。君はオルガニストになるんだろう?

アンジェイ神父は素晴らしいバリトンの持ち主。音楽学校を卒業している。彼は、"God be with you and your spirit"を歌い始めた。

-どんな風に弾いてくれる?

そしてラファウはオルガンを弾いた。神父は次々と新しい調で歌った。ラファウは即興でついてきた。
アンジェイ神父の目に涙があふれる。

-ラファウのことを話していると、いつも胸がいっぱいになります。
私の人生でも、特別の、もう二度と起こりえない機会でした。

-彼を学校に入れるべきだ。と、私は父上に言いました。

神父はビドゴシチに赴任となり、当地の大聖堂に数年間勤めた。そこで、オルガニストのクリスティナ・クリニツカ教授を知った。

クリスティナ・クリニツカ - ラファウには才能があります。

彼女は全く無関心でやって来た。教会の司祭館で、ラファウの演奏を聴いた。
ラファウは父上に連れられてきた。彼は燭台が置いてある、古いフォルスターで弾いた。

-とても面白く和音をつけるのね。と彼女はラファウに言い、あなたの息子さんには才能があります、と父親に言った。
そして神父には、この子をナクウォに置いといてはいけない、と、ビドゴシチの音楽学校に入れるべきだ、と告げた。

学年の途中に?

彼女は、娘が音楽学校で師事したヤチェク・ポランスキーに会いに行った。ウィーンに行くが、合間に時間がとれそうだ。彼はラファウに会っても良いと言った。


Orlen社 "Rafał Blechacz"よりお借りしました
ヨアンナ・ブジェジンスカとヤチェク・ポランスキ:既に支払われましたよ。

-小鳥のように - と、ヤチェク・ポランスキはラファウのことを言う。-とても小さくて、とても細くて、ラファウはペダルに足が届かなかった。

彼はヨアンナ・ブジェジンスカと一緒に、ラファウの演奏を聴いた。ヤニナ夫人はピアニストで、 鍵盤楽器部門の学部長だった。現在はスイスに住んでいる。

-ラファウはお父さんと一緒にやってきました。8歳でしたが、就学前の子供のように見えました。
ラファウが何か話したか、彼女は覚えていない。多分話さなかっただろう、と言う。
なんだか、おずおずとした子供、という印象だった。

-何でも好きなものを弾いて、と私たちは言い、ラファウは、キャロルを即興で弾きました。

このレガートは - と彼女は考えた。- こんな風に弾けるには、普通何年もかかる。でもこの子はこれを内側に持っている。

-全く、あの小さな手が鍵盤で出来ることといったら!- ポランスキは、ラファウがどんな風に弾いたか見せてくれた。
-もの凄く器用に、指が他の指を越えるのです。

調和した、メロディアスなレガートの音を得るのに、ラファウはペダルを使わず、手で、別の技で行なった。

ブジェジンスカは感激し、泣いた。

-ヤチェクは大げさに言うんですよ。 - ヨアンナが泣いたのは、もう少し後。ラファウがヤチェク・ポランスキと、ハイドンの4手のためのピアノ変奏曲を素晴らしく弾いた時だった。また、モーツァルトのソナタは、成熟した演奏家であっても聴かれないような音色だった。

-とてもおかしなことですけど - と彼女は言う。
私のコンサートの後、ラファウはお父さんに、僕もあんな風に弾けるようになりたい、と言ったそうです。
そして今は、- と彼女は微笑む。- 私が彼のように弾きたいと願っています。

父親はヤチェク・ポランスキに尋ねた。

-(ラファウの演奏を)聴いていただいて、いくらお払いすればよろしいですか。

-既に支払われましたよ。とポランスキは答えた。彼はラファウを教えたいと思った。

学校に編入するには一連の手続きや入学試験を受ける必要があった。ブジェジンスカは学長に会いに行き、ラファウを直ちに受け入れるべきだと言った。どのクラスだってかまわない。1年生でも2年生でも8年生でも、空きのあるクラスへ。いずれにしても、彼は標準より早く終了するに違いない。


イヴォナ・ズィタとバルバラ・ヤレツカ:才能ある子供はたくさんいる。

父親は廊下で待っていた。そして2人の女性、イヴォナ・ズィタとバルバラ・ヤレツカが規定に従ってラファウの試験をした。聴く力とリズム感を確かめる必要があり、子供は教師の指示どおり、手をたたいたり、リズムを打ったり、歌ったりしなければならない。極めて才能ある子供を評価するのに、これが果たして適切な方法だろうか?

入学試験では本物の才能は発見できない。才能ある子供は控えめで自分のスキルをその場で売り込むようなことは苦手だ。ヴェルディはミラノの学校に入れなかった。

-さあ、何を歌ってくれるのかな?- ヤレツカはラファウに尋ねた。

-僕、歌えません。- 彼は答えた。
ラファウは、現在も、歌は歌わない。

-歌うのは好きじゃありません。-とラファウは言う。- 人前で歌うのは恥ずかしいです。

- じゃあ、何か弾いてみて。
そこで彼はオルガンの旋律を何小節か、バッハを2,3分弾いた。とてもシンプルな曲だ。

-とても深く音楽に入り込み、集中していました。-とヤレツカは述懐する。
-こんなに才能ある子供に会ったことはありませんでした。

-それから - と少し躊躇しながら、言う。- 才能ある子供は大勢います。彼らの将来がどうなるのか、全ては人生の途上で出会った教師にかかっているのです。

ラファウは2年生への編入が認められた。ヤチェク・ポランスキが担当教師となった。
(続く)

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