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2012年8月28日火曜日

ラファウ・ブレハッチの先生方が語る(2)

2005年の12月に、ポーランドの Gazeta Wyborczaに掲載された、テレサ・トロヤンスカによる記事の続きです。
今回は、ラファウが生まれてから、6歳頃まで。息子に専門の音楽教育を与えるべきかどうか、ご両親の模索が続きます。

ラファウ・ブレハッチの先生方が語る(1)からの続きです。

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母: なので私は頑張りました。

女の子が生まれると予想されていた。出産予定日は1985年の7月5日。
レナータ・ブレハッチの友人は、口をそろえて言った。

-絶対、女の子よ。
もし女の子だったら、キグナという名前がいいわ。レナータ・ブレハッチが働いていた幼稚園の、とても可愛い生徒の名前だ。
6月29日土曜日、ブレハッチ夫人は、もう間もなくだと感じた。

-だめよ、もう少し頑張らなきゃ。もう少し待って。
その夜、友達がフランスの男性と結婚したので、彼女は結婚式用のドレスを着ていた。ナクウォの友人たちが皆集まっていた。

-なので、私は頑張りました。- と彼女は笑う。友人を祝福し、帰宅し、その後病院へ向かった。翌日ラファウが生まれた。日曜日だった。

-男の子。良かったわ。男の子だっていい。健康?神様、感謝します。
第1子の体重は 2,950 グラム。

-もちろん、可愛い子でしたよ。夫に似て黒い髪でした。
私は夫に電話しました。

-私たちの子に名前を考えなきゃ。あなた、すぐに考えて。

-ミハエル。- と夫は言いました。
-だめだめ。
-パウルはどうだい。昨日はパウルの名前の日だった。

-パウルっていう子供は多いですよ。- と助産婦が言う。
-とりあえずパウルがいいかしら。後で変えても。- とブレハッチ夫人。

-聖人の名前でなければ。男の子は守護神が必要よ。悪から守られるように。

私達はラジオ3を聴いていました。そして、解説者の名前が流れました。

ラファウ。良い声の人でした。
-聞いて。良い声よ。名前も良いわ。ラファウって、旅人や病人を守ってくれる天使の名前よ。


父:決してあきらめない。

クシシュトフ・ブレハッチは苦しかった時を覚えていない。
-いいえ、全く。不安?ありません。挫折?ありません。

-それは良いことだ。-とアンジェイチャク神父は思う。-それが現在の心の状態なのだから。
-しばしば - と彼は言う。-強くならなければなりません。諦めてはいけない。我慢しなければならない。そしてそれは大変価値あることなのです。

才能ある子供に教育を与えるのは、家族全員にとってのチャレンジだ。重要なのは、ロジスティックスを整え、温かい、安心できる雰囲気をつくることだ。

-お父さんの支えがなかったら、ラファウは成功できなかったでしょう。
と、音楽理論の教師アンナ・シャラプカは言う。
(注: ビドゴシチのアルトゥール・ルービンシュタイン音楽学校の教師。ラファウに8歳から15歳まで教えた。)

-全ての子供にこんな家族があり父親がいたなら、どんなにいいでしょう。賢くて、慎重で、大げさでなく心を配ってくれるような。

ラファウの父親は、短気になったり疲れを見せることは決してなかった。
しかし、彼は疲れていたと思う。とても疲れていたはずだ。
息子のレッスンには全部同行し、本を読んだり仕事の書類を片付けながら、教師のコメントは全部聞いていた。帰宅後、ラファウがピアノで練習するとき、注意事項を思い出させてあげるように。


ゾンマーフェルト - 偶然だった。

ブレハッチ家にはいつもピアノがあった。
曽祖父もピアノを弾いた。ユゼフという名で、ナクウォ近郊の村の小学校で教鞭をとっていた。祖父のチリルは、古いルード・イバッハ・ゾーンのピアノを弾いていた。

おじのロマンもとてもうまく弾けたので、家族のピアノをもらい受け、この楽器はトルンに行った。

ラファウの父親もピアノを弾くのが好きだった。
ゾンマーフェルトの楽器がナクウォに来たのは、偶然だった。
祖父の親戚が教師をしていたが、退職し、2階に引っ越さねばならなくなった。ピアノを移動するのは意味がないと思った。

-私達が買いましょう。- と父は決めた。- 家族の中に置いておくのです。
彼は、家にピアノがないと寂しいのだった。
こうしてゾンマーフェルトが家にやってきたのは、ラファウが1歳のときだった。

小さなラファウは3歳か4歳の頃から、それに興味を示し始めた。
しばしばピアノに近寄り、鍵盤に触って、押して、音を確かめて、録音したメロディを聞いていた。

-この子に何かした方がいいんじゃないか?とおじは言った。
-でも、どうすれば?



Orlen社"Rafal Blechacz"からお借りしました。
バッハコンクールで優勝(1996年、11歳)


資金不足の音楽センター

それは1990年のことだった。ラファウは5歳。
ナクウォは都会から離れた村で人口18000人。セカンダリースクールが1つあるきりだ。一番近い音楽学校は、ナクウォから32キロ離れたビドゴシチにあった。
こんな小さな子供を毎日ビドゴシチに連れていくべきだろうか。それも何年にもわたって。
それとも寄宿舎に入れようか?

-早すぎるわ。と母は言った。
-今はゼロ・クラスに行かせましょう。(=就学前教育)そして1学年に進めばいいわ。
今は彼を静かにさせてやりたい。

父親はラファウを、自分も通ったことのある、ナクウォの音楽センターに入れた。
ラファウを教えたのは、ヨゼフォヴィッチ、ビドゴシチから通勤してきた。彼はいろいろな作品を弾き、ラファウは耳で聴いて繰り返した。
彼はラファウに、高音部記号(ト音記号)で書いてある音符の読み方を教えた。

誰も、何者も、ラファウをピアノから離すことはできなかった。
彼は教会ではいつもオルガンの傍に座った。


先生:鳥はどんな風に歌うのか教えて。

ラファウが就学前の教育を終えたとき、両親は彼を専門家に見せようと決めた。このままナクウォの音楽センターに置いておくのか、真剣に音楽を学ばせた方がいいのか、決めてもらうのだ。

ビドゴシチの音楽学校に知り合いのいる人はいないだろうか。誰にアドバイスをもらえばいいだろう。ブレハッチ夫人の同僚の1人が、ビドゴシチの音楽学校で働いている人を知っていた。家族でこの人を訪問した。

その日はひどい一日だった。ラファウも両親も、覚えている。
ブレハッチ夫人は妊娠しており、真夏の週日だった。

ラファウはちょっといたずらをして母親にぶたれ、へこんでいた。
-それは書かないで。ブレハッチの家では子供を叩くのかって思われるじゃない?そうじゃないわ。しつけだったのよ。とブレハッチ夫人。

先生は、ラファウに ピアノを弾くようには言わず、「今日はどんなことがあったの?」 と訊いた。
ラファウはうそをつけず、話したくなくてだまっていた。 「これは何の音?」とピアノを鳴らすと、ラファウはしぶしぶ答えた。

-じゃあ、鳥はどんな風に歌うのか教えて。

先生は、 しばらくはそっとしてあげた方がいいけれど、もし音楽を学びたいのであれば、 ナクウォの音楽センターでなく、良い個人教師につかせるよう、アドバイスした。

ラファウの父は、ビドゴシチのハリーナ・ザレフスカの話をきいた。。良い選択かもしれない。


父:そこまでは、わかりませんでした。

家に戻って、父親はピアノを開き、1音を鳴らした。
-ラファウ。これは何の音?

-「ド!」 ラファウは部屋を駆け回りながら答えた。

-私は、次々と違う音を弾いてみた。ラファウは部屋を駆け回りながら、ピアノの方を振り返って答えた。間違いはなかった。

-2音で試してみた。ラファウは正しく答えた。和音もやってみた。ひとつも間違いはなかった。
 7音で--不協和音、かなりむずかしいはずだ。

-ラファウは、全部認識できました。
 絶対音感。 --これは、誰かが彼を教育するべきだという、サインでした。

-才能があると?

-いいえ。
クシシュトフ・ブレハッチは、慎重に、注意深く言葉を選んだ。

-当時はそこまではわかりませんでした。しかし、この音感の能力をみのがすべきではない、と確信しました。
(続く)

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