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2011年6月30日木曜日

ラファウ・ブレハッチ、ビドゴシチの母校を訪問

ラファウ・ブレハッチは、26歳の誕生日である6月30日、ビドゴシチの母校の音楽アカデミーを訪れ、学生や市民の質問に答えました。地元のウェブサイトによります。(英語)。



こちらは、MM Bydgoszcz(ポーランド語)の記事です。インタビューの直後の速報でした。そのまま引用します。

(引用)
26歳の誕生日、ラファウ・ブレハッチはビドゴシチの音楽アカデミーで、市民に会った。インタビューの後、ミニリサイタルを開いた。

ブレハッチは、第15回ショパンピアノコンクールの優勝者。以来、彼のキャリアは加速して前進し、世界中で演奏している。

どこの聴衆が一番素晴らしいですか?
「演奏するのは、どこも全部大好きです。しかし、おそらく、ファンクラブは日本が一番凄いですね。日本に行くと何ヶ所か違う場所で演奏会がありますが、ファンクラブのメンバーの多くは、どの会場にも来てくれます。」とブレハッチは述べた。

各ゲストは、ナクウォ生まれのアーチストに質問することができた。質問の多くは、ラファウ・ブレハッチの日常生活に関するものだった。

「朝食、ピアノ、本、ピアノ・・・。」とピアニストは冗談っぽく語った。
(引用終わり)

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こちらは、Gazeta Bydgoszcz(ポーランド語)の記事、やはり速報です。そのまま引用します。

(引用)
ブレハッチは、ビドゴシチで26回目の誕生日を祝った。市民と会った際、1時間以上にわたって、音楽ファンの質問に答えた。

音楽アカデミーの関係者は、バラの花束と、「スト・ラト」の美しい歌声で彼を歓迎した。

「これを聴くと、ああ、音楽アカデミーにいるという感じがしました。」と彼は言い、彼らの祝福に感謝した。彼が大学に着いたとき、彼のアメリカ、プリンストンの家族と、世界中の彼の演奏会に訪れるという、ファンクラブのメンバーが同行していた。

「彼の音楽は格別に繊細で純粋です。私たちは彼のピアノを聴くのが本当に好きなんです。」と、ブレハッチの誕生日に合わせて特別に横浜から訪れたというXX(モト記事では名入り)は語った。ただ、ビドゴシチでは、彼は何も演奏しなかった。ピアノのそばに座り、写真用にポーズをとっただけだ。しかし、ビドゴシチの市民の好奇心は満たされた。今日は彼に質問ができたからだ。彼は、コンサートの計画、トルンでの勉強、間もなく発売になるという最新アルバムについて語った。
(引用終わり)



ブレハッチの発言の一部が、ビドゴシチの地元サイトに載りました(英語)
3歳の再生不良性貧血の男の子を救うための、骨髄ドナーを探す運動を、ブレハッチが支援している旨も発言があり、別記事でポストされています。
ビドコシチのラジオ曲のサイトでオーディオでも発言が少し聞けます。ブレハッチの声のみに編集されています。別の内容のことを話しています。

(上記英語記事の、ポイントをひろいます。)
彼との対話は、プロの音楽家としての仕事、レパートリー、文献に答えを求めつつ作品の解釈を追求すること、など互いに関係するトピック。たまに、演奏で訪れた街でお忍びの観光をすることもある由。(親しい聴衆から招待があったSFの例、でもこれは稀)、数ある演奏会の提案からどれを選ぶかは、選曲に合った楽器があるか、ホール、音響、調律師とのコミュニケーション、等による。こうした条件を最高度に満たすホールが、アムステルダム、ミュンヘン、チューリッヒにある、と彼は言う。

「上記のホールはとても気に入っていて、いつでも喜んで演奏に行きたい。」
ショパンコンクールの優勝者としては珍しく、日本で演奏するのが好き。また、音楽を尊敬し、しっかりと集中して聴いてくれる聴衆がいるドイツで演奏するのも好き。パリ、アムステルダムも。

ショパンコンクールの覇者になることは、人生における革命でしたか、と、地元の方からの質問に対し、
「確かに重大な分岐点でした。これによって音楽家のキャリアを築くことになりましたから。」

これによって、人生は大きく変わると予想はしていたが、
「その後の現実は、全く未経験の領域でした。前もって演奏会の予定をたてるのだろうとは思っていましたが、3年とか、時には4年後のことを計画するとは思いませんでした。プログラムを2,3年前から組み立てるのが日課となってしまいました。」

はじめは、メディアの喧騒、混みあった記者会見、インタビューの中に身を置くのがつらかった。
「人気は人を疲れさせます。今はずっとましになりました。」と言う。

世界中で名声を得た今も、彼は舞い上がるようなことはない。そのことが、今回のインタビューでもよくわかった。
(以上)
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去年秋、ショパンコンクールの時期に、彼の恩師ポポヴァ=ズィドロン先生が、審査員インタビューの中で、
「彼は卒業(2007年5月)以来、学校には一度も来ていない。」と述べていました。今回は久しぶりの機会だったのかもしれませんね。



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