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2011年4月16日土曜日

ラファウ・ブレハッチのインタビュー:音楽解釈は変化し続ける。

English

Gazeta.pl Toruńに4月16日午前ポストされた、ラファウ・ブレハッチのインタビューです。
ブレハッチは同日午後、トルンの科学芸術祭のプログラムである、音楽解釈に関するディベートに参加しますが、そのプレビュー記事となります。

オリジナルのインタビュー(ポーランド語)



ラファウ・ブレハッチが演奏、音楽を語る

音楽に関われば関わるほど、異なった解釈が出てきます。コンサートにも行きますが、この解釈の方があの解釈より優れている、などと言い切ることが益々難しくなります。そんな風には言えない。単に、「異なる。」ということなのです。

マチェイ・チャルネツキ:土曜日に、トルン科学芸術祭の一環としてピアノ音楽の解釈に関するディベートが予定されています。あなたの演奏と絡めての内容になりますね。

ラファウ・ブレハッチ:ステージにはピアノとテーブルが置かれ、アンジェイ・ショステク神父・教授と、ポーランドラジオのエディター、アダム・ロズラフが座ります。去年もトルンで、私の演奏会の後短時間の議論が行われましたが、いくつか問題点がありました。今年も引き続き議論をすることになりました。今回は演奏で検討内容を例示することになります。私達は、例えば、解釈の自由度について話したいと考えています。そこで、ショパンのマズルカを良い例として示すことになるでしょう。おそらくポロネーズも弾きますし、バッハは是非演奏したいと思っています。

去年、解釈には知識と直感の両方が必要だとおっしゃっていました。

―今もそう思っています。

ショパンコンクールの演奏などを追っている平均的な聴き手にとって、ピアニストは何よりもまず音楽に共感していますね。

―作曲の様式、たとえばどの時代の様式か、などの知識も大切です。例えば、私がベートーベンのソナタを聴衆の前で演奏する場合、彼の初期の作品なのかどうか、あるいはすでにロマン派の先駆けとなる作品なのか、――ベートーベンの後期のソナタは、そのような雰囲気がありますから、それを知っておく必要があります。バッハですと、バロック音楽ということで、演奏者としては、どんな風に装飾音符やトリルといった装飾の要素を弾くべきなのか、認識しておく必要があります。


ある程度の厳格なルールがあるのです。そうした演奏に関する側面に無知な場合、それが演奏にとても露骨に出てしまうのです。ロマン派の音楽でも、専門知識は必要です。例えば、フレデリック・ショパンの時代はどのようなピアノが用いられていたか、といった知識を知っておくことで、彼の時代の美学に少し接近することができます。もちろん、これに、心とか直感とかが加わるわけです。こうした要素に助けられて、個々の演奏が形成されるのです。


音楽的な知識の話をしてきましたが、ニコラウス・コペルニクス大学の博士課程で哲学を勉強なさっていることが、音楽解釈にも影響しているでしょうね。

―私は、いろいろな分野からインスピレーションを探し求めています。最近ドビュッシーの音楽を頻繁に演奏しますが、その音楽を印象派の絵画の中に探すこともあります。大学での勉強ですが、音楽の哲学にかなり集中しています。まずロマン・インガルデンの書物から始まり、その後ヴワディスワフ・ストゥルジェフスキ教授の書籍に進みました。2年前クラクフで教授とお会いし、その内容が私の3枚目のアルバム、ショパン協奏曲のライナーノーツに入りました。その後さらに他の書籍へと哲学の興味を拡張しています。音楽だけではなく、芸術一般に関する内容になっています。哲学史では古典的な哲学者のものを読んでいますが、全部が大変面白いです。勉強は大体本を読むことが中心で、ホテルや飛行機、列車で移動中の間も勉強しています。勉強が足がかりとなって、さらに音楽解釈を発見しています。


音楽解釈の限界について少し話しましょう。時々、作品のオリジナルからかなり離れようという誘惑にかられることはありますか。

―ある作品に対する解釈の考え方は時とともに変化します。これは私たち演奏家の成熟にも関連しますし、同じ作品をある音楽シーズン中に、さまざまな場所や会場で、多様な聴衆の前で繰り返し演奏することにも関連しています。解釈は自ずと変化していきます。ショパンコンクールの直後に録音したコンチェルト1番と最近の録音を比べると、幾分変化していると自分でも気付きます。それ程過激な、論議を起こすような変化ではありませんが、でも確かに変わってきています。

また、演奏家が自分の解釈を見せるとき、何かを呼び起こす感じ、というのがあります。他のアーチストのコンサートにもよく出かけます。時々、彼らが私には全く合わないような弾き方をすることもあります。しかし、とても確信に満ちて、感情を呼び起こすような演奏ですと、その場では、私もそういう演奏を受け入れています。舞台には演奏の力のようなものがあり、聴き手を吸い込んでしまうのですね。


すると、個々の解釈は場所やホールや聴衆に影響される。つまり、一瞬のものであると?

―重要なのは、例えば、会場の音響と楽器のクオリティですね。イタリアの劇場で演奏する場合ですが、音響がかなりドライで、短時間でフェードすることがあり、普段より早いテンポで演奏することがあります。私にとって相当違うこともあり、非常に集中力を要することになります。


数年前と比べて、ご自分では、今の方が良い演奏だと思いますか。あるいは、単に異なる演奏、ということでしょうか?

―異なる演奏、ということです。音楽に関われば関わるほど、異なった解釈が出てきます。演奏会を重ね、この解釈の方があの解釈より優れている、などと言い切ることが益々難しくなります。そんな風には言えない。単に、「異なる。」ということなのです。音楽解釈にはそういう見方をしており、作品にはそういう態度で臨んでいます。それが受け入れられる時もあれば、そうでない場合もあるでしょう。それを決めるのは、大抵の場合、聴き手の態度です。

インタビュアー:マチェイ・チャルネツキ

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