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2010年9月1日水曜日

ブレハッチのインタビュー――ショパン、シマノフスキ、ドビュッシーの連続性

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ブレハッチはサン・セバスチアンでのリサイタルの際(8月27日)、インタビューに応えました。
インタビューアー:マリア・ホセ・カノ(彼はリサイタル・レビューも書きました。詳細後日)

オリジナルのインタビューが掲載されたdiariovasco.com(スペイン語)

「ごく普通の生活で、幼なじみとも交友を保っています。しかし、ピアノにこそ幸福を感じます。」

ピアノの巨匠クリスティアン・ツィメルマンに後継者がいるとすれば、それは疑いなくラファウ・ブレハッチだ(ナクウォ、1985年生)。ツィメルマンと同じポーランド人であるこの若い演奏家は、同郷の先輩から桁違いに優秀と称賛されている。世界の最高レベルの場所で演奏を重ね、ドイツ・グラモフォンと独占契約を結び、論壇でも絶賛されているブレハッチは、今日、サン・セバスチアンで初めて演奏する。



――素晴らしい経歴をお持ちですね。まだ25歳なのに、2005年のショパンコンクールで全ての賞を独占、今年の7月にはあの栄誉あるキジアーナ音楽院の国際賞を受賞なさいました。どうしてこんなことが可能なのでしょう?

わかりません。一番大切なのは音楽を愛することと、自然でいること――作品の解釈でも人生でも、自然でいることだと思っています。作曲家が作品を書いた時どんな意図だったのか、何を言いたいのか考えるべきだと思っていますし、同時に新しい部分も盛り込もうとしています。そのことが何か影響しているのかもしれません。

――成功の秘訣は生来の才能でしょうか。それとも鉄の鍛錬ですか?

努力することは大切だと思います。毎日練習することです。それも体系的にね。そうるすことでレパートリーを開拓し、新しい作品やスタイルを身につけることができます。演奏家として、ロマン派の音楽を受け入れるだけでなく、バッハのようなバロック音楽、あるいは印象派の音楽も演奏する必要があります。それからオルガンですね。私の場合はオルガンが第2のパッションなのですが、これは幼い頃の体験に基づいています。教会へ行って何だか巨大な楽器の音を聴いたとき、大変感激しました。その後、やはり自分の楽器はピアノだと悟ったのですが、実は今でも自分の村に帰ると――ポーランドの北西部にある人口22000人の小さな町で、ナクウォと言いますが――オルガンを聴いています。

――ピアニストになりたいと意識したのはいつでしたか?

ピアノを始めたのは5歳の時、それから、7歳の時にビドゴシチで学び始めました。この町の音楽学校は、ルービンシュタインという名前です。

――おそらく、今の状態に達するために、いろいろなことを犠牲になさっているのではないか、と想像します。ご自分の生活はノーマルだと思われますか?

はい、私はごく普通の生活をおくっています。ピアノを弾かなければならないことで不幸だったことは一度もありません。全く逆ですね。子供の頃から、ピアノこそ私をより快適にしてくれました。幼なじみとの交友も保っていますが、私にとっての幸せは、ピアノがもたらしてくれるものです。

――ツィメルマン、ルービンシュタイン、パデレフスキ。なぜポーランドは、これほど優れた演奏家を輩出するのでしょう?

それはお答えできませんね。ピアノに加えて、個々の活動も異なるでしょうし。また、ポーランド人じゃなくても、美しいショパンを弾く偉大な演奏家は大勢います。マウリツィオ・ポリーニとか、マルタ・アルゲリッチとか。

――ブレハッチさんは同郷のクリスティアン・ツィメルマンの足跡をたどっているように感じられます。彼が1975年のショパンコンクールで優勝して以降、ポーランド人の優勝者は出ませんでした。そして1985年に彼もキジアーナ音楽院の国際賞を受賞しました。ツィメルマンとの共通点を感じられますか?

ツィメルマンは私の好きな演奏家の一人ですし、私より以前にコンクールで優勝した最後のポーランド人です。彼とは良い関係を保っています。私が優勝した時、彼はお祝いの手紙をくださって、支援を申し出てくれました。ちょうど、いろいろなエージェントやメディアからコンタクトがあり、この新世界をどう渡っていけばいいのか途方にくれていた時でした。自分の経験を話してくれました。バーゼルの自宅に招待してくれたこともあります。5日間一緒に演奏してすごしましたが、貴重な経験になりました。今も交流を保っています。

――今日はサン・セバスチアンでのプレミアです。シマノフスキ、ドビュッシー、ショパン、ということですが、なぜこのプログラムになさったのですか?

今回2人のポーランド人と1人のフランス人の作曲家を選びましたが、私は3人の間の様々な関係を示したいのです。シマノフスキはショパンほど知名度はありませんが、彼の音楽が伝える多様な感情や和声は、非常に面白いのです。一方でドビュッシーのような印象主義的な側面もあります。私は演奏会で、ドビュッシーとシマノフスキとの間にある連続性、またシマノフスキとショパンとの間の連続性を明らかにしたいと考えています。

――ブレハッチさんはショパン音楽の模範的演奏家となられましたし、生誕記念ということもあり、ショパンをプログラムに入れるのは義務に近いものがありますね。

確かにそうですね。いつも演奏会では後半にショパンを、前半に他のいろいろな作曲家の作品を持ってくるようにしています。また、聴衆も私からショパンを連想し、ショパンを弾いてほしいと願っています。

――あなたの演奏は、若さのエネルギーや熱意と、年齢からはあり得ないほどの高い成熟度が組み合わされている、と言われています。こうした称賛の言葉を聞いて、どう思いますか。批評に影響されることはありますか?

本当に重要なのは、聴衆が私の演奏を聞いて満たされることです。実際、批評で書かれることよりも、今勉強している哲学ですね、具体的にはインガルデンの美学なのですが、こちらの方が、私にはずっと参考になります。美学の探究によって、異なった解釈や新しい側面を開拓したり、音楽のアイデンティティを追求したりする助けとなっています。

――リサイタルを開く前に、準備で特別に注意なさっていることはありますか?

練習することと、ホールの音響をきちんと理解することです。調律師と協力して、ピアノの音調とホールの音響が調和するように努めます。あらゆる要素を組み合わせて、最善の結果が生み出されるようにしています。

――まだ25歳。クラッシック以外を聴くことはありますか。コンサートに行ったりしますか?

車で移動するときラジオを聞くことはありますが、あまり頻繁ではないですね。普段聴くのはクラッシック音楽だけです。そうですね、コンサートも行きますよ。さきほど話に出たツィメルマンとか、ザルツブルグではポリーニの演奏会に行きました。4年前東京でゲルギエフの指揮するオペラを見たこともあります。演奏旅行が多いので、それ以上時間はあまりとれないですね。あ、自分のコンサートは必ず行きますよ。(笑)

――何か趣味をお持ちですか?
音楽が私の人生で最も大切なものですが、哲学にも興味があります。あとは、私の生活はいたって普通です。テレビを見て、映画に行って、本を読んで。車の運転が好きで、ヨーロッパで演奏するときは家族を同伴しますが、父と私が交代で運転します。今回もサン・セバスチアンには両親、妹と一緒に来ました。

――どのような将来計画をお持ちですか?

演奏のクオリティを、技術面でも音楽性の面でも上げていきたいですね。新しいレパートリーに取り組むたびに成長しています。聴衆のために演奏し、独自の音響を持つ新しいホールを知ることも大切にしたいです。スケジュールは2012年までたくさんのリクエストでいっぱいになっています。

――それでも、年間の演奏会の数は抑えていますね。なぜですか?

年間の演奏は、ソロリサイタルとコンチェルトを合わせて40回まで、と決めています。私にとってはこれが上限です。勉強や、あたらしいプログラムを開拓するための時間を確保する必要があるからです。

――今後の課題は何ですか?

私の夢は、世界で聴衆のために演奏することでした。ショパンコンクールの優勝以来、この夢は実現しました。今後は、新しいレパートリーを開拓していきたいですが、ドイツ・グラモフォンとの契約が確かに助けになっています。そして、何よりも、音楽と、仕事と人生を楽しみたいと思います。
(インタビューEnd)

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8月27日にアップしたYoutubeでのブレハッチの発言内容はは、このインタビューと昨日のインタビューで、ほぼ、カバーされています♪

★このアーチストのニュースやインタビューを紹介するうえで、私が注意しているのが、「召使いの人物評」にならないようにすることです。日本語化するプロセスでの語彙の選び方とかで、どうしても私のフィルターがかかってしまうのですが、私はタダの人、対象となるアーチストは歴史をつくっていく天才です。

歴史上の英雄たちを書き続けている塩野七生さんが、タダの人でしかない召使の眼から見れば、タダの人でない英雄もタダの人にしか見えない、ということを書いておられました。

「これは、歴史を書く私がつねに肝に銘じていることである。なぜなら私もタダの人であって、その私に歴史上の人物達を引き寄せて判断し書いたのでは、召使いの人物評になってしまう。・・・それで私のやり方だが、人物を私に引き寄せるのでなく、私がその人物のところに行くことにした。・・・」

歴史上の人物のところへ行けるのは、塩野さんのように博識で深い洞察力を持つ、特別な人だけでしょう。

私も、しかし、タダの人なりに、できるだけアーチストの発言はバイヤスがかからないように、決して引き寄せない(引き下げない)よう、気をつかっています。インタビューを日本語にするときは、(不可能と知りつつ)インタビューを受けている側のシチュエーションをじーっと想像して、一挙に書きます。拙速ですが、余分な考えは入れないようにします。これまで一人称を「僕」にしていたのを、今回「私」にしたのは、最近のYouTubeでの彼の雰囲気を見て、「僕」と訳したがるのは私というタダの人の、こうあってほしいという小さな趣味かもしれないと思ったからです。


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