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2010年4月24日土曜日

ラファウ・ブレハッチ、哲学に関するパネル・ディスカッションに参加(ニコラウス・コペルニクス大学にて)

(English)





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4月20日、トルンでの演奏会と、直後に行われたディベート(いわゆるパネル・ディスカッション)の様子を伝える記事です。ディベートでどんな話が出たのか知りたい、と質問をいただきましたので、この記事のディスカッション部分だけピックアップして書いておきます。

テンタティブな日本語です。意訳もしています(意味は保ちつつ、日本語としてなるべく抵抗なく流れるようにするため。)哲学用語がいくつか出てきましたが、とことん調べてませんのでご承知置きください。
転載・転用は、固くお断りいたします。(サイト管理人より)



「いつもとは違いました。ショパンのマズルカイ短調を弾いて、今日ほど深く感動したことはありません。」
4月20日、トルンのニコラウス・コペルニクス大学(UMK)の講堂で演奏会を終え、直後に同大学のコゲギウム・マキシマムで行われたパネル・ディスカッションに遅れて到着したラファウ・ブレハッチの最初の発言。
席についたあと、自分はこの天才のいくつかの作品については、弾きこなせるまで成熟していないと言い、さらに、
「(演奏の)解釈のためには、知識と直感を調和させる必要がありますが、ときどき、知識を得た結果、これはもうわかっていた、と感じることがあります。」

「音楽作品には、霊的存在を直に伝え、音楽学――ある種の構造理論――が入り込む余地がないものがあります。この場合、哲学がとても有用です。僕の哲学との冒険は、音楽作品の個性(アイデンティティ)と美学的経験に関する、ロマン・インガルデンの著作から始まりました。このようにして、僕は演奏をより深く見つめようとしています。」

ディスカッションに参加したUMKのヴィシニェフスキ教授は、哲学と音楽はともに秩序や宇宙、音の調和の根源にある点では共通だが、音楽の理解に関する客観性と主観性のところで違いがあると発言。音楽は音に関する特定の論理であり、豊かな感情や雰囲気を創造する点が異形であり哲学とは異なる、としました。もう一人の参加者、カトリック大学のショステク教授・神父は、音楽を運ぶ媒体(CD等)が発達している現代は演奏の黄金時代、と位置付けました。

ブレハッチが神父に、(演奏者による)解釈が許される境界はあるのかと問いかけました。自分は常にこの問題と向き合っており、より自由な解釈を自分に許すこともあれば、忠実にテキストに従う時もある、と。
「重要なのは、テキスト(楽譜)の内部的論理を読み取ることです。」と神父は答えました。
(略)
「神のために弾きなさい。」とある時点で神父は言いました。
(略)

演奏会・スタジオ録音についての議論もありました。
「スタジオ録音の際、僕は美(学)的対象が内容を構成するよう、自分に課しています。なので、特殊な状況です。また、CDは人が(今でなく)後になってから聴く、ということも意識しています。」とブレハッチは述べました。

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↑ふと思い出したのですが、ラファウ・ブレハッチが2007年5月に音楽大学を卒業し、修士:Master of Arts (in music) を取得したときの論文のテーマが、コンクール、ステージ、スタジオ録音における演奏の特殊性、に関するものでした。
(←文言を確認しようとしたら、この記事、ポーランドのモト記事がもうウェブ上にはないようです。)

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