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2009年10月18日日曜日

心打たれるブレハッチの新アルバム―レビュー(ポーランド)

ラファウ・ブレハッチの新アルバム「ショパンピアノ協奏曲」について、
ポーランドのGazeta Prawna に10月10日付けで掲載された、Tomasz Sztuka氏のレビューです。

もとのレビューのURL:
http://www.gazetaprawna.pl/tagi/kultura
スクロール・ダウンしてラファウ・ブレハッチの写真のところでクリックしてください。

英語化した記事はこちらです。

例によって、モトがポーランド語で、私はポーランド語を正式に学んだことはありません。
なので解釈率8割程度、のおおらかさでご覧くださいませ。





心打たれるブレハッチの新アルバム
Tomasz Sztuka

2005年、ラファウ・ブレハッチのショパンピアノ協奏曲ホ短調の演奏を聴いた時、彼はきっとコンクールで優勝するだろう、また音楽愛好家の心をつかむだろうと確信した。今振り返ると、その2つとも実現したわけだ。最近彼はショパンの2つの協奏曲のCDをリリースした。

ブレハッチはポーランド音楽を「商品輸出」する最初の事例となった。彼は栄誉あるドイツ・グラモフォンと有利な契約を交わし-これまでこれを可能としたのはクリスティアン・ツィメルマンだけだった― 世界へ飛翔した。9月後半にリリースされたショパン協奏曲の録音は、ブレハッチの才能と深い解釈力の証明だ。ブレハッチの音楽は彼の内面の希求を明瞭に示し、それを外に向けて豊かに表現している。彼のスタイルは従って、その徹底した完璧さゆえ「機械的」とよく言われるツィメルマンとは異なる。

ブレハッチはショパン弾きとして分類されないよう、努力している。

ショパンの前奏曲の録音(2007年)をDGからリリースしてほどなく、ハイドン、モーツアルト、ベートーベンのソナタ集を録音、極めて高い評価を得た。ショパンの協奏曲を、中心的アーチストとして録音した背景には、来るショパンイヤーとの関係がある。

彼がポーランドのこの作曲家に戻った理由は、2005年の成功後、聴衆が2つの協奏曲の完全録音を望んでいた、その願いに答える意味合いもあったのだろう。

彼の演奏はひけらかさない。革命的な特徴もない。

私たちの若いピアニストは、少なからず過去の演奏を参考にしている。
彼は伝統を重んじる一方で、自分独自の考え抜いたスタイルも保っている。最高度の軽やかさ、新鮮さ、同時にショパンの伝統への忠実さ、こうした特徴は、古いけれど模範となるかつての演奏 ―ヴィトルト・ロビツキ指揮、ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団、レギナ・スメンジャンカ(ヘ短調)、ハリーナ・チェルニー=ステファンスカ(ホ短調)の演奏を思い出させる。2つの協奏曲とも1959年に録音された。

ブレハッチの協奏曲ホ短調は、最近DGから出されたユンディ・リー(フィルハーモニア管弦楽団、アンドリュー・ディヴィス指揮)の録音よりはるかに優れている。後者では、指揮者が解釈の正確さよりも音量を重視している。

この新譜で特筆すべきは、オーケストラ、ピアニスト、指揮者が完璧に調和していることだ。

どの演奏者も目立とうとしていない。ピアニストは自分が優先されるような勢いを得ようとはしていない。ラン・ランなど、他の多くの録音ではありがちなことだが。
ブレハッチは安っぽいトリックなど使わない。奇をてらうこともしない。彼は威厳ある演奏をし、卓越したオランダのオーケストラが同等の立場で演奏することを許した。

演奏者間の一貫性がない例として、オルガ・カーン、ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団、アントニ・ヴィト指揮(Harmonia Mundi、2006年)がある。ピアニストの流麗な演奏が、重厚なオーケストラから浮いてしまっている。

ブレハッチは協奏曲の録音に際し、自分で指揮者と好みのオーケストラを選ぶという、類まれな機会を得た。彼の選択は極めて正確なことが証明された。

2008年12月、威信あるプロフェッショナルな「グラモフォン」誌は、オランダのロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団を世界で最良のオーケストラと評価した。

最近演奏頻度の減った、ポーランド生まれの偉大な指揮者イェジー・セムコフは、ショパンの2つの協奏曲からもっとも大切なものを引き出した。若々しい軽やかさ、ときに大胆さも。常に適切なテンポを保ち、はったりや虚勢がないこと。
このアルバムでは、他の録音では聴こえない音符が、楽譜からきちんと取り出されていると、時々感じる。消えてしまったり、紛れ込んだり、テンポに押されて最後まで響かせることができなかった音が、ちゃんと存在するのだ。ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の清らかな楽器の音色が大きく寄与していることは間違いない。
(以下、ショパンについて、省略)

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2009年10月11日日曜日

ラファウ・ブレハッチCD「ショパン前奏曲」欧州版の解説(07年10月)

English

ラファウ・ブレハッチの「ショパンプレリュードのCD(欧州版)」のライナーノーツにある解説もアップしておきます。
「ソナタ集」同様、これも日本版では、載らなかったものです。
やはり以前、多くのファンの方に見ていただいた内容ですが、最近の愛好家の方にも見ていただきたく、アップいたします。
特に新たに内容を見直すことは、していません。文章は2年前、写真も去年のままです。


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ショパンを弾いていると心がくつろぐ

若きポーランド人ピアニスト、ドイツ・グラモフォンデビュー

2005年10月、ポーランド北部の小さな町ナクウォ出身のひかえめな若者――心を深く集中させ、素直で、過ぎた謙虚さをそなえた若者が――第15回ショパン国際ピアノコンクールのためワルシャワに到着した。
私が彼を知ったのはその3ヶ月前で、他の参加コンテスタントは誰も知らなかったが、コンクールではラファウ・ブレハッチが最も卓越した演奏者のひとりだと確信していた。
類まれなる技術を持って――煌き、正確で輝くようなその技術と供に、彼の演奏は詩情、成熟、均衡、集中を感じさせる。


1975年にクリスティアン・ツィメルマンが第9回コンクールで優勝して以降、ポーランド人アーチストが、かくも新鮮なアプローチ、心を揺さぶるパーソナリティ、何よりも解釈上の誠実さで聴き手の心を深く魅了しつつ現出したのは初めてだった。
ラファウ・ブレハッチのこれら特徴は、彼のまれにみる音楽・作曲家に対する謙虚さと相まって、初めてショパンに関わって以来の特徴となっており、2005年ワルシャワでは、この特徴により主要な賞を独占することとなった。
彼の例外的な才能を顕彰するため、審査員はコンクール史上初めて第2位を授与しないことを決めた。
その場にいて彼を見、彼の音楽を聴いたならば、彼の演奏がショパン的理想に極めて近いものであることが確信できたはずだ。




「これまで長く、自然な過程をたどってきました。」とラファウは言う。

「まず、ノクターンop32-1ロ長調から始まりました。
しかし、私のショパン観は、他の作曲家の曲、とりわけバッハ、3大ウイーン古典派の作曲家、そしてドビュッシーを弾くことで豊かになりました。
ドビュッシーでは色彩のコントロールと音の造型がとても重要でした。」


コンクール後のリサイタルで、ブレハッチのウイーン古典派の演奏に私は感銘を受けた。
微妙な感情の均衡の表現は、これほど若い演奏家にはほぼ不可能だと思っていた。
しかし、作曲家と演奏者との融合――いわば同質の精神が合体したと、直ちに感じ取ることができたのはショパンだった。


「はい、ショパンを弾いていると、私は心がくつろぎます。」と彼は言う。

「何か直感的に、潜在意識のどこかで、こんな音になるはずだというものを感じるのです。」


主要な文化の中心地から遠く離れて育ったことで、ブレハッチはあるべき方向へ導かれ成長することができた。
両親は音楽家ではないが、彼が作品に没頭できる、理想的な環境を与えた。
彼に録音を買い、ピアノのレッスンに車で送り迎えし、コンサートに連れて行った。
彼はビドゴシチに通い、そこで、最初はアルトゥール・ルービンシュタインハイスクールでJacek Polanskiに師事、その後、ビドゴシチ音楽アカデミーで、Katarzyna Popowa-Zydronに師事し、2007年6月末、彼女のもとで学業を修了した。


「先生が芸術の門を開いてくださったのです。
特にドビュッシーを経験させてくださったことでピアニスティックな音色の色彩が極めて重要だとわかりました。
これによって、ショパンへの準備ができました。

先生の指導のもとショパンの音楽を学び始め、先生と一緒にコンクールのプログラムを検討しました。

ポーランド人にとってショパンコンクールは神聖なものではありますが、先生と私はこのコンクールを私の成長のための1つの段階ととらえていました。
コンサートキャリアを積むきっかけとなるコンクールは他にもたくさんあるでしょう。
Popowa-Zydron先生は常にこのことをおっしゃっていました。

「コンクールには全部失敗するかもしれない、でも、一番大切なのは音楽への愛を失わないことです。」とも。」


ブレハッチが学んだビドゴシチの音楽アカデミー



ワルシャワでは、ラファウは注意深く組み立てた自らのプログラムに完全に没頭していた。彼の演奏にはためらいや不自然さは微塵もなかった。
あの前例のない成功に面食らっていたのは彼ひとりかもしれない。


「ここまで来られるとは思いませんでした。」と彼は言った。

「たぶん、周囲の喧騒に全く関わらなかったからだと思います。
私は演奏を終えるたびに、ナクウォの自宅に帰っていました。

休息をとり、森を歩き、ラジオを聞いたり新聞を読んだりはしませんでした。

自分の最大の夢が実現したのだと実感し始めたのは、後で家に帰ってからでした。その時になって、今後多くの新たな挑戦に直面することになるのだとわかってきました。

クリスティアン・ツィメルマンが素晴しいお祝いの手紙を送ってくださり、自分を頼りにするよう言ってくださいました。
最近、2人で数日間を過ごす機会があり、たくさん話したり、演奏したりしました。真の友人を得たように感じています。」



ワルシャワでの勝利により数多くのリサイタルや招待の依頼が押し寄せる中、ブレハッチはドイツ・グラモフォンから接触を受けることとなった。


「今後自分の音楽があらゆる人々の聴けるところとなり、分析・批判の対象となる、というのは、わくわくするような、しかしちょっと大変なことでもあります。

大いなる責任を伴うことですので、コンクールの時と同様、肉体的・精神的に最大限の準備ができた状態で録音にのぞみました。」



なぜ、このピアニストはデビューCDにプレリュードを選んだのだろうか?

「プレリュードは限りなく魅力的です。多様さの中に多くのアイディアを抱含しています。
私はop28の各曲を1つのユニットとして、内部の緊張とドラマを持った全体として形作ろうとしました。

ノクターンop62は長年親しんできた曲であり、私はこの多様な顔をもつ傑作をどう解釈するか、納得できる方法を発見することができました。
これら2つの作品では、ショパンは和声(harmony)でも色彩でも同時代を大きく先取りしていました。
ロ長調(op62-1)は印象派への比喩を促すものです。」


ショパンの演奏では、古典的スタイルとロマン派的スタイルのどちらを好むのか、と尋ねたところ、ブレハッチは躊躇なく、前者を選んだ。


「外向的解釈だけでなく、内心の規律を働かせた内性的(introverted)解釈でも、聴く人を満足させることができます。
私の解釈は、いわゆるメンデルスゾーン的観点と呼べるものに近いものです。
おそらくこれは、早い時期に古典のレパートリーを経験したことが影響しているでしょう。

私は常に、できる限りのディテイルを表現しながらも、音楽のフォルムはそこなわないように努力してきました。
すべてを明瞭にそのまま表現した方が、作品にこめられた種々の感情をずっと簡単に表現できるでしょう。

だからといって私がロマン派的スタイルを拒んでいるわけではありません。
私はロシアの何人かのピアニストのように外向的ではありませんが、いつか、ラフマニノフを弾く日がくると思っています。」
(Adam Rozlach:2007年8月)
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DGのサイト同一の英語が載っています。
このページの左側のINSIGHTSをクリックしてください。



解説者のAdam Rozlachは、Preludiaではもはやおなじみの名前です。ポーランドラジオでショパンの番組を持っており、ラファウ・ブレハッチのシンパの音楽ジャーナリスト、今回のコンチェルトのCDも、何度もインタビュー等でとりあげてくれました。


Adam Rozlach が、ショパンコンクールの結果が出た2005年10月22日付けのコンクールのGazetaに寄せたコメントです。
• What kind of competition was it?
It was Rafał Blechacz’s competition.

• What should be changed in the competition formula?
The main thing is the jurors. It can’t continue like this, because it’s a crime. It can’t be that the finalists include mainly students of the jurors.

I want to emphasize, during this competition nobody played Chopin like Blechacz did, and nobody was as close to Chopin as he was. This was a historic performance, we were witnesses to a great moment, I can say this without a shadow of a doubt.


Adam Rozlachは、メールの問い合わせにもすみやかに丁寧に誠実に答えてくれるそうです。ポーランドのダナさんは、彼が番組で述べた内容に疑問(不満)があり、問い合わせをしたのがきっかけで、時々メールを交換しているそうで、彼女のラファウ音楽に対する意見が、別の演奏家の特集のときに番組で読まれた、と言ってました。Rozlachに限らず、彼女はいろいろな評論家に対してメールで意見を言うことがあり、概ね返事は来るそうです。書いてある中身は、評論家によってさまざまで、失礼なレビューを書く人は、メールも失礼だったりするようです。
でも、そういう交流がもてて、うらやましい気がします。


また、昨日Preludiaにアップしたインタビュー、見てくださった方、どうもありがとうございました。
私は、
「録音マテリアルを聴いた後、ホ短調コンチェルトは、演奏会のライブ録音をCDに出そうと決めました。」
とラファウ・ブレハッチが自ら述べている部分が見られて、うれしかったです。

伝えられているように、6日間も録音セッションを持ち、演奏会の当日(7月2日)は、午前中のゲネプロもCD用に録音したとのこと。通常の演奏会とは異なる緊張感と、1演奏会で2つのコンチェルトという厳しい環境で、しかもホ短調はプログラムの最後に演奏したことを考えると、ラファウ・ブレハッチらしい、さっぱりとした決断だと思いました。
この録音のためのコンセルトヘボウの演奏会では、ソリストと指揮者のステージへの出入りに、通常の階段は使いませんでした。ステージの下手(向かって右)のオケの出入り口から、お二人とも出入りしたそうです。


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2009年10月10日土曜日

ラファウ・ブレハッチ、古典派ソナタ集CDに関するインタビュービデオ

グラモフォンのプロモビデオの元ビデオでの、ラファウ・ブレハッチの発言です。(2008年) 
ビデオのリンクは無効になっています
昨日の、ブレハッチの書いた解説と同様、そろそろ時効かと思い、アップします。多くのファンの方にはすでに回覧している内容ですが、最近彼の音楽が好きになった方のためにアップします。わりと荒っぽい訳ですが、改めて見直すことはしていません。


また、Preludiaの方に、9月末に公表されたブレハッチのインタビュー(ポーランドのメディアと)の前半をアップしておきました。
日本のことも、いつものようにうれしそうに話しておられます。

「ショパンの作品はどこの国でも高く評価されています。最も顕著なのは日本でしょう。日本ではショパンの音楽はほとんど神を崇拝するレベルに達しています。初めての日本ツアーでは、担当エージェントの要請で、オールショパンプログラムになりました。僕のファンクラブさえ、あるんですよ。」


私は彼の言葉を取り扱うごとに、演奏を聴いたときと同じくらい、いつもawe and admirationの心境になります。
飽きずにブログを続けているのは、私にとってはカリスマ的なこのアーチストから、毎回何かを学べるからだと思います。
今回も、なるほど、と感心する部分が2,3箇所ありました。
ポーランドでのインタビューは、こちらから。



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ショパンコンクール後最初の録音がショパンというのは、私にとって自然なことでした。でも、2枚目のCDでは、異なったスタイル・作曲家を見せたいと思い、ハイドン、モーツアルト、ベートーベンを選びました。ハイドン後期のソナタと、ベートーベン初期のソナタです。ハイドンとモーツアルトの関係や、特にハイドン後期の作品とルートヴィヒ・ヴァン・ベートーベン初期の作品との関係を示したかったのです。

このレパートリーは、いつ頃から弾いていましたか?
思い起こせば、音楽教育を受け始めたのは、6歳の時ですが、モーツアルトの作品や、もちろんバッハの作品と、他にもいろいろ、カール・チェルニーなど勉強しました。モーツアルトの作品は本当にとっても好きでした。初めて人前で弾いたモーツアルトの作品は、変奏曲ハ長調でした。皆さん喜んでくれて、とても素敵な作品です。コンクールの前も、モーツアルトやハイドンの曲はたくさん弾きました。ハイドンの変ホ長調ソナタは、日本の浜松国際コンクールで弾きました。2003年でした。ベートーベンのソナタもコンクールで、たしか初めての国際ピアノコンクールで弾きました。2002年、ビドゴシチでの青少年のためのルービンシュタインコンクールでした。ビドゴシチは私が音楽教育を受けた都市です。そしてこのソナタを国際コンクールの際演奏しました。しかし、モーツアルトのソナタK311は、2005年のショパンコンクール優勝の直後から弾き始めました。今コンサートシーズン、今年は、このソナタを何回も、ヨーロッパやアメリカ、日本でのリサイタルで弾きました。これら3つのソナタは、こうやって経験をつんできたと思っていますので、これらの作品をCDに入れようと決めました。

ショパンとウィーン古典派の関係について。
古典派の作品、特にハイドンとモーツアルトは、ショパン音楽を理解する上でとても重要だと思います。ショパンがモーツアルトのオペラを愛していたことはよく知られています。また、ショパンの2番目のピアノ教師ヨーゼフ・エルスナーは、ハイドンの弟子だったことも興味深いです。またショパンは古典派のソナタ、スタイルを熟知し、そのスタイルを愛していました。古典派音楽はショパンの初期の作品に影響を与え、例えばソナタ第1番ハ短調や、ピアノ三重奏ト短調でそれが示されています。
こうした作品は、例えばソナタ2,3番に比べるとあまり有名ではありません。しかし、特別な古典的雰囲気が興味深く、フォルムは典型的な古典音楽です。とても面白いです。

なぜこれら3人の作曲家を1枚のCDにまとめようと思ったのか。
ハイドンとモーツアルトの特別な関係、ハイドン後期の作品とルートヴィヒ・ヴァン・ベートーベンの初期の作品との関係を示したかったのです。この2人の作品には、交響楽や弦楽四重奏の影響が聴こえます。これを証明するような興味深い部分やポリフォニックの要素が多く見られます。ハイドン後期の、ベートーベンの初期の作品に与えた強い影響を明らかにしたかったのです。この作品には交響曲や四重奏的な要素が各所で聴こえます。例えばベートーベンのソナタ第1楽章の最初の部分は典型的な四重奏の雰囲気ですし、1楽章の繰り返しの部分は典型的な交響楽のトゥッティです。他にも、交響曲と弦楽四重奏の経験による影響を示す箇所がたくさんあります。私のCDの主なテーマはソナタなんですよ。CDのまさにタイトルなのですが、3人の偉大な作曲家、ハイドン、ベートーベン、モーツアルトを通じて、ソナタの異なった存在を示したいと思いました。もちろんソナタは、古典派の時代の典型的な音楽の形式でした。古典派の時代にとても人気のある形式でした。この形式を使った、最も偉大な作曲家がハイドン、ベートーベン、モーツアルトでした。私はこれら3人の作曲家をCDに選びましたが、このCDの主なテーマがソナタ、というわけです。

これは、ヴィルトゥオーソ音楽ですか?
各ソナタにそれぞれ典型的なヴィルトゥオーソ的要素が含まれています。たとえば、ハイドンのソナタの終楽章はとてもヴィルトゥオーソ的ですし、モーツアルトのソナタも、特に第1楽章はそうですね。しかし、ただヴィルトゥオーソというだけでなく、モーツアルトの作品では彼がオペラをとても愛していたことがよくわかります。例えば、第2楽章では、たくさんの声楽的な美しい要素が。。。(ビデオはここで終わっています) 



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2,3ヶ月前、お友達に教わって、ショパンのピアノ三重奏を聴いてみる機会がありました。ベートーベンみたいで、ベートーベン好きな私としてはとてもうれしかったです。このインタビューでのブレハッチの発言がなかったら、またブレハッチを通じてショパンを尊敬する彼女とお知り合いにならなかったら、この曲を聴こうとは思わなかったでしょう。
(チェロはヨーヨーマ、ピアノはエマニュエル・アックス。先月ニューヨークフィルの演奏会に行ったとき、エマニュエル・アックスのソロでベートーベンのコンチェルト4番を聴く機会がありました。当然ながら、ブレハッチの来日公演のときのベートーベン4番と、どうしても比べてしまいました。
ソナタ1番も、今回もう一度聴いてみました。手元にあるのは、ダン・タイ・ソンさんの録音―ショパンの3つのソナタ集です。これもブレハッチを初めて知ったとき、いろいろな演奏家のピアノソナタ3番を聴き比べたとき購入したものです。)
私自身はラファウ・ブレハッチのショパンにのみ傾倒しているわけではなく、どちらかというと、モーツァルトやベートーベンの方が好きです。まだ限られた曲しか聴いたことがありませんが。モーツァルトはコンチェルトも含め全曲録音してくれないかなあ、ベートーベンのコンチェルトも。。。と願ってはいるものの、プライオリティを考えるとむずかしいでしょうね。
「ラファウはカメレオンのように、演奏するごとに、その作曲家自身になりきる。」とポーランドのオラさんが言っていました。ほんとにそう思います。 

2009年10月9日金曜日

古典派ソナタ集CD(欧州版、アメリカ版)ライナーノーツ用に、ブレハッチが書いた解説

「ウィーン古典派ソナタ集CD」(欧州・アメリカ・ポーランド版)のライナーノーツに載っていた、ラファウ・ブレハッチによる解説です。 日本盤にはこの解説は入りませんでした。
ポーランド語のみ、オンライン上に存在しています。
内輪のファンの方にのみ回覧し、ブログでは去年鍵付きにしていましたが、リリースから1年以上たちますのでそろそろ時効かと思い、アップします。
ラファウ・ブレハッチのピアノが好きな方に、彼の考えていたことを理解していただければ。。



プログラムについての所感
ラファウ・ブレハッチ


ハイドン後期のソナタ変ホ長調と、ベートーベンのソナタ第2番とを連続させることで、私はこの2人の作曲家の関連と、
ハイドンの音楽が彼の若き後輩の初期の作品に与えた強い影響に、聴き手の注目を集めようとした。
ハイドンのスタイルは、ベートーベンにとって、自分自身の音を求め育成するための模範であり判断基準だった。
鍵盤曲の作曲において、二人の作曲家は、他の楽器のジャンルでの作曲経験を広く生かした。
変ホ長調ソナタの様々な音域での、主要なテクスチュア、流れ、声部を注意深く見るならば、
交響曲や弦楽四重奏的考え方の存在に気づく。
ハイドンの他のソナタを分析する際も、同様のプロセスが観察できる。

私は古典派ソナタのある種のパッセージを弾く時はいつも、様々な他の楽器の音色を想像して楽しんでいる。
ハイドン、モーツァルト、ベートーベンに取り組む際、アーティキュレーションやペダリング、音色に迷いがある時はいつも、
作品の全体または部分を心の中で「オーケストラ化」することにしている。
この「内心の楽器編成」をすると、解釈に関する迷いが消える。
ある種のオクターブは(レチタティーヴォ)セッコで、別のパッセージは豊かで温かいソノリティをもったチェロのように、
(例えば、変ホ長調ソナタのアダージョの中間部分)弾くべきとわかっているが、
別のフレーズはクラリネットの音を模倣するし、別の低音のある種の音は明らかにバスーンを再現することになる。
ハイドンのソナタ第3楽章は、極めてオーケストラ的な性格を持つ。
聴いていると、トゥッティの音や、もう少し小規模な楽器群(木管や弦)の音を容易に想像できる。

変ホ長調ソナタの一楽章に見られるような、速い音の連続を弾くとき、
私は弦楽器の典型的なフィギュレーション(装飾的表現)を連想する。
つまり、16分音符や32分音符でさえも、個々の音が全て重要であり、聴こえなければならない。
音符ひとつが欠けたとしても構造全体を乱してしまう。――これは真珠の首飾りに似ている。
すなわち、真珠一粒という各要素が、それぞれにおいて完璧であり注目に値するが、
同時に、他の真珠とまとまることによって調和ある全体を創り出すことで、私たちに強い印象を与えるのと同じだ。
この「真珠のような」音の連続のフレーズを思い描くことによって、機械的で単に技術に走った、
エチュードのような速いフィギュレーション法を避ける手段となる。

もちろん、このソナタには、多くのスフォルツァンドや著しいダイナミクスの対比によって表現される勝利の雰囲気から、
最終章や第1楽章第2主題でのユーモアやウィットにいたるまで、種々様々な異なった雰囲気が含まれている。
ハイドンがほぼ同時期に書いた交響曲「ロンドン」や、イギリス滞在時代に作曲した他の音楽にも共通の精神が見られる。

類似の質感は、ベートーベンのイ長調ソナタでも聴くことができる。
これはハイドンに献呈され、ハイドンの変ホ長調ソナタとほぼ同時期に、ベートーベンがハイドンの下で学んでいた短い期間に作曲された。
第1楽章の最初の部分、特に9から20小節と、166から185小節までは弦楽四重奏のように私には思える。
20小節で最初のモチーフがフォルテで繰り返される部分は、私にとっては疑いなくオーケストラのトゥッティに他ならない。
しかし、典型的なピアニスティックな要素も、この作品には明瞭に存在し、その感情的で表現豊かな特徴は、
成熟し、反逆的で英雄的なベートーベンを予見させる。
(例えば、最終楽章ロンドの中間部のスタッカートの部分や、多くの和声の変化(harmonic changes)を伴う、情熱的な第1楽章の再現部など。)

モーツァルトのソナタニ長調k311は、オペラや交響曲を明確に考慮するモーツァルト独自の
本当にユニークなピアニスティック・スタイルの典型例だ。
第2楽章の痛いほどに美しい声楽のような主題は、特別に感動的で心を平穏にし、
オペラこそモーツァルトの真なる愛の対象だったことが、明瞭に示されている。
中間の楽章は作品の“心”だと、私は常々感じている。
この楽章において、作曲家も演奏者も、自身の魂の最も深い部分に潜む全てのものを、音で顕在化させる機会を得る。
名状しがたい魂の奥底のものを、全て明瞭に表現する自由を得るのだ。

今述べたことは、ロマン派の作品のことだろうか。そうではない。
古典派の作曲家が、ロマン派の作曲家とは異なった喜び、悲しみ、希望、絶望感を感じていたと推測するのは間違いだろう。
感情の基本的な性質はいつも同じだ。表現の仕方が変わるのみだ。
バロック、古典派、ロマン派、そして印象派の作品も含め、レパートリーを弾いていると、様式やアプローチはそれぞれ独自ではあるが、どの作曲家も伝える本質、感情、喜怒哀楽は常に同じだと感じる。

(ラファウ・ブレハッチ)


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ラファウ・ブレハッチが書いた原稿はもっと長いものだったのですが、編集の都合でカットされてしまったそうです(笑)。そういえば、ハイドンの記述が、他より長めですね。
そういえば、今年のショパン・コンチェルトのライナーノーツも、まとめの部分のパラグラフ、ラファウ・ブレハッチの人となりが書かれた一番大切な部分が、まるまるカットされてしまったこと、以前に書きました。
カットされた「まぼろしの部分」、来週になるかもしれませんが、アップしますね。 



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