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2009年4月9日木曜日

ラファウ・ブレハッチ、最近のインタビューから

ブレハッチがポーランドのテレビTVP Kulturaのインタビューを受け、3月24,25日に放送になったということで、
簡単なインタビューの概要をPreludia にポストしました。

本当に概要のみです。また、ポーランドのファンの方に教えていただきました。
ホールのこと、ショパンについて、ドイツ・グラモフォンとの関係、
インスピレーションを得たピアニスト、新しい曲に取り組むアプローチの仕方、

ヘンデルのオラトリオを聴いていること、
(「時代は今、ヘンデルですよ。」みたいな若者的いいまわし。"Mam ere na Handla"なので、"I have an era of Handel."
「今、ヘンデルがマイ・ブームなんですよ。」みたいなニュアンスかな?)、
(注:メサイア等を聴いているそうです。)

哲学の勉強について。といった話題です。


この番組のビデオをご覧になった方は感じられたかもしれませんが、
全体的にブレハッチはなんというか、少しシリアスな雰囲気です。

インタビューアーのHawrylukは時々問い詰めて興味深い答えを引き出そうとしているように見えます。

例えば、ショパンの曲に関し、
「なぜリサイタルの後半ではショパンを弾くのか。ショパンのラベルを貼られて飽きないか。」とか。

ブレハッチは、明確にNoと言っています。
「私はショパンが弾きたい。ずっと弾きつづけます。」
~ここのやりとり、Preludiaでは、ごくさらりと載せ、ショパンのラベルとか書きませんでした。

あるいは、グラモフォンとの関係について、
「将来の曲の選定について、グラモフォンから自由を与えられているのか。」

という点も、相当しつこく繰り返し聞いています。

ブレハッチは、
「基本的に、アーチストとしての自由を認めてもらっており、私が最終的に決断する。」
と何度も言っています。
(ここもPreludiaでは、しつこいやりとりは削除、あっさりと書いています。)


全体的に、ブレハッチは非常に落ち着いて、静かに、しかし確信に満ちた雰囲気を保ち、
しっかりと自分を伝えている印象です。
大変知的で、大人な態度です。


インタビュアーの質問の仕方、やだな、と最初は思ったのですが、
(ポーランドのファンの方は、まるで拷問よ。と憤慨しておられますが、)

結果的に、視聴者は、ブレハッチが人間としても非常に成熟した演奏家である、との好印象を持ったのでは、と思いますし、
その意味で、この番組はブレハッチにとって成功だったと思います。
おそらくそういう結果を予測して、このインタビュアーもわざとつっこんだのかな、
などと思っています。



インタビューを担当した、Jacek Hawryluk
(この写真はラジオ局のサイトから)





このテレビのインタビューの収録と同じ日、3月18日に、
ラジオ番組用のインタビューも行い、3月23日(だったかな)に放送されたそうです。
翌日の演奏会のリハの後、2本収録ということです。

やはりポーランドのファンの方が、一部内容をピックアップしてくれています。
ラジオの方は、TVよりリラックスした、なごやかな感じだったそうです。

好きなコンサートホールと、印象に残る指揮者・オケ
コンサートホールの方は、先日も引用しました。

指揮者の方は、ゲルギエフとプレトニョフ。ラファウがよく引用するエピソードで、
ゲルギエフはリハの間ずっと携帯で話し、空いている方の手で指揮をし、たいそう不安だったが、
本番はあっと驚く素晴らしい出来だった、という話と、
プレトニョフは07年5,6月に日本で共演した際、プレトニョフの編曲によるショパンコンチェルトホ短調で、
まるでラフマニノフかチャイコフスキーのような響きだったが、いい経験だった、という話。

オケはやはり、withコンセルトヘボウ @コンセルトヘボウのサンサーンス、
これは忘れられない素敵な体験、とのこと。

ゲルギエフのエピソードは、古い記事ですが、ブレハッチがもう少し詳しく話したものもあります。
よろしければ。。



また、去年の12月、ベルリンで行った、ドイツのメディアに対するインタビュー、これも概要のみですが、載せておきました。
ベルリン放送響と共演した演奏会のラジオ放送の際、続けて放送されたものですので、
お聞きになった方も多いと思います。
ブレハッチの英語にドイツ語の訳がかぶさってしまっており、
ファンの方に、興味がある部分を拾っていただきました。

無難な内容です。

CDソナタ集に関し、
「historical instumentsで弾くことを試みた。」というのが興味深かったです。
結局は現代の大きなホールには合わないので断念したけれど、
昔の楽器の知識をつむことが、ソナタ演奏の助けになっている、とのこと。

また、ブレハッチがピアノ演奏の際、
internal orchestration とかinstrumentation (心の中で、オーケストラ等の楽器の音色をイメージすること。)
を行っていることから、質問者が、
「その帰結として、将来指揮をすることになるのでは?」

と聞いたところ、ブレハッチは否定はしませんでしたが、「あるとすれば将来のこと」、と流しています。

以前にも、ポーランドのインタビューで、「指揮は?」と訊かれ、
そのときは「やってみたいですね。」と軽く答えていたそうです。


また、室内楽については、リサイタルを重視している現在のフォーカスではないが、将来は行ってみたい、と言っています。

このあたりは、1年位前のドイツでのインタビューとトーンが変わっています。
以前は室内楽には消極的なニュアンスでした。

最近の日本でのインタビューで、「自分自身から最も遠い曲、人に聴かせたくない曲はありますか。」
という問いに、
「その曲を好きな方を傷つけたくないので、秘密にしておきますね。」

という部分がありました。
これも、以前のドイツのインタビューでは、具体的な作曲家の名をあげて、自分としては遠い、と述べていたのですが。

最近は、自分の発言が世界中で聞かれていることを、意識なさっているのかな、などと思いました。

これらのインタビュー、日本語化するところまで手が回らなくて、申し訳ないのですが、
シンプルに書いたつもりですので、ご覧いただければ幸いです。 



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2009年4月4日土曜日

ブレハッチとコーヒーを @スイス、インタビュー (Podcast)

「はーい♪」と思わず答えたくなるタイトルですが、
2月にPreludiaにポストした内容なので、ご覧になった方も多いかと思います。

スイスのサイトで、ブレハッチのインタビューがPodcastされています。
在アメリカのファンの方が発掘し、教えてくださいました。

ありがとうございます。いつもいつも。。
彼女のネット・リテラシーのレベルは超高いので、いつもお宝をいただいてます。

ちょうどブレハッチの来日中のタイミングであわただしく、ゆっくり聞いてなかったのですが、
聞きなおしてみると、リラックスしたいい感じでお話なさってます。
ドイツ語の通訳がかぶさっているのですが、ブレハッチの英語の発言も比較的長めに流れているので、
内容がguessできます。

ブレハッチが通常こうしたインタビューで話すようなトピックばかりですが、
ちょっと新しい点として、

「(今はナクウォに住んでおり、ここでの静かな生活ー友達とおしゃべりしたり、教会でオルガンを弾いたり--
も今しばらく大切にしたい、と後で言ってますが)、

大都市の生活も、オペラやコンサートホールに行ったり、他の素晴らしいアーチストにあったりできるので、
たぶん、2,3年したら、ミュンヘンか、ウィーンか、パリに引っ越そうかな。」

たぶん(maybe)を2回言ってますので、ニュアンスとしては、
「いつになるかわからないけど、将来的には大きな都市に越すことも、ありうるでしょうね。」

という感じかな、と思います。

通常は、「自分はナクウォに住みたいと思います。
まだ音楽家としてのキャリアを始めたばかりなので、静かな生活に返ることが自分には必要です。」
とハンコを押したように言ってますが、

現実的にはいろいろな選択肢を考えておられるのでしょうね。
ご本人の言うとおり他のアーチストとの出会い等、音楽活動の今後や、人生での様々な転換点を考えれば 当然のことかもしれません。


ドイツのファンの方によると、ドイツ語の部分で、
「ナクウォを離れる準備ができるのは、かなり先になるでしょう。」
と言っていたそうです。
(4月16日追記)


リンクはこちらです。
Hören (聞く)か、
Download (MP3) を選んでください。
私はdownload の方がスムーズにいきました。

2008年6月7日放送。ちょっと古いです。
ブレハッチは6月4日のプラハでの演奏会を終えた頃。


* 
2008年、2月末~3月始めにスイスツアーをしたときの収録でしょうか。
直前がイタリアツアーだったので、「イタリアではエスプレッソをたくさん飲みました。」で始まるのですね。






2008年3月7日、チューリッヒにて、演奏会後のサイン会。
PAPというポローニャのメディアが、ほかのメディアに掲載された記事を引用しており、その記事に載っていました。


あ、あと、チューリッヒのホールについて、ブレハッチが「とても音響が良い。」と
最近のポーランドラジオのインタビューでほめていました。
彼は前年2007年の演奏会(コンチェルト)のことを言っているようです。

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2009年4月2日木曜日

そのとき歴史が動いた、かも?

昨日、ブレハッチのご家族や先生の記事を一部紹介したのですが、
なんだか長くなってしまい、本当に書きたかった部分までいけませんでした。
"Preludia"の記事で一番リアクションが多かったのは、お母様と妹さんが登場するビデオについてでした。

2006年の1月、ブレハッチは、ショパンコンクールのガラコンサートに出演するため来日していました。
お父様も同行され、その間留守を守っていたお母様・妹さんがテレビの取材を受け、放送されたそうです。

このビデオ記事をアップした時期が、ちょうどブレハッチのジャパンツアー2009(2月)と重なっていたため、

「いろいろな方」が、「見たよ。」と演奏会場で声をかけてくださり、

メールでも、
「ブレハッチさんの家や学校が見られてうれしかった。」
「お母様の優しい笑顔が素敵だった。」

など、感想をいただきました。

残念ながら、昨日ビデオをもう一度見ようとしたところ、すでに提供サイトから削除されているようです。

しかし、ポーランドのファンの方が、面白い部分をピックアップして簡単な英訳をつけてくださったので、
少し内容を垣間見ていただける、と思います。こちらです。


もっともリアクションがあったのが、妹のパウリナさんの部分です。

パウリナとラファウは、ごく普通の兄妹で、
ときには口論になったり喧嘩もする。
2年前、喧嘩した際、パウリーナはラファウの指をknock out した。
ショパンコンクールの後、担当大臣を表敬した際、
パウリナはこのエピソードを話した。
大臣は、
「あなたが、ポーランドの歴史を変えてしまったかもしれなかったですね。」

この、指を knock out が具体的にどういうことなのか、私もわからなかったし、何件か問い合わせをいただいたので、
ポーランドのファンの方に尋ねてみたのですが、

「ポーランドでは、兄妹、兄弟げんかは、普通ですよ。そんな深刻なことではありません。
枕投げとか、取っ組み合いとか、たたいたりもします。
大丈夫ですよ。」

というお返事で、結局よくわかりませんでした。

パウリナさんが登場する場面で、彼女が部屋のピアノのふたや共鳴版を開きながらお話しているので、
まさか、ピアノのふたを閉じちゃったのかしら、弾いてるとき、

と一瞬思いましたが、そんなはずないですよね。

パウリナさんがラファウさんをたたくのは何となくわかるけど、
ラファウさんが妹をたたくのは、想像できない、

というメールもありました。
確かに(笑)。

ドイツのファンの方はこれを読んで、真剣に心配したらしく、
ピアニストやピアノの生徒がいかに手を大切にしているか、ということを詳しく真剣にのべ、
「本当に心配したわ。でも、治癒したから、今ラファウは平気なのね。よかった。
私も親戚の子に注意しなくちゃ。(彼女も音楽をやっている。)」
と言ってました。
(ドイツ人は理詰めです。)

モトのビデオがなくなってしまったので、真相はずっと藪の中、になってしまいました。


さて、私は同じ記事のお母様の発言部分も好きです。

ラファウが幼い頃、紙にオルガンの絵を書いて、キャビネットの戸の内側に貼り付け、
家の小さな電気オルガンで、教会で聴いてきた音楽を弾いた。

-自宅で、本物のミサのようでしたよ。

と、ブレハッチ夫人は微笑んだ。



  
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2009年4月1日水曜日

金剛石も磨かずば・・・

フランスの海外県に住む若いブレハッチのファンの女の子からメールをいただき、
ブレハッチのパリでの演奏会(3月27日分)が、ラジオ・フランスで、
4月20日の午後14時半(フランス時間)に放送されるそうです。
日本は、ええと、21時半から、ですね。
(めずらしく、日本でも聴きやすい時間、デスね♪)

ラジオ・フランス(MP3、128k/s)

ラジオ・フランス(MP3, 60k/s)

↑MP3は、オランダのファンの方の情報。




彼女は、私の英語ブログ"Preludia"で、"Rafał' family/teachers talk"というカテゴリーのものがあるのですが、
これが参考になる、と言ってくださいました。

ブレハッチのピアノの先生である、ポランスキ先生や、ポポヴァ・ズイドロン先生を始め、
幼い頃から関わっていらっしゃった先生、神父様、そしてご両親の
「あのとき、こんなことが。」という言葉を集めたルポルタージュやその他の記事を、
ポーランドのファンの方が英語に直してくださったものです。

ポストする前は、「こんな古い記事、興味を持つ人がいるかしら?」と半分不安だったのですが、
せっかく彼女がせっせと訳して送ってくれるので、じゃ、まあ、という感じで載せていたのです。

結果は、何人もの方から、「すごくよかった。」という感想をいただきました。
実際に関わった方々の直の言葉は、重みがあるのでしょうね。


例えば、ラファウが15歳のときから8年間教えた、ビドゴシチの音楽アカデミー、ポポヴァ=ズイドロン先生のインタビュー

教え始めて、最初の数ヶ月はなんだか感心しない演奏のラファウ。
ある日、ノクターンを弾いていて、先生が「ちがう、ちがう」と何度も説明し、弾かせ、
はっと気がつくともう2時間も過ぎてる!お父様もお待ちなのに。。
「大変、疲れたでしょう?」

するとラファウはびっくりして、
「いいえ、疲れてません。」
彼は弾くことがすきなのだ。私たちはレッスンを続けた。

次のレッスンでも、変わりばえしていなかった。

しかし、その2週間後。
先生は、「思わず座りこみ、泣きそうになった。わずか2週間のうちに、
ラファウは私の指摘したことを全部消化し、自分の感情も組み入れて、
信じられないような演奏をした。
神の御業だった。。」

そうして懸命に教えるポポヴァ=ズイドロン先生は、ときにはあまりのラファウの才能の大きさにおびえ、
自分が果たしてこの子を成長させることができるのか、教師として適格なのか悩み、
ヤシンスキー先生に相談し、

ラファウやラファウのお父様にも「教師を代えたほうがいいのでは。」と示唆した。
しかしラファウのお父様は、
「他の先生など考えていません。私は先生にお願いしたいのです。」



「大切な宝物を大事に大事に育ててくださった、そんな感じを受けました。
古いですが、「金剛石も磨かずば・・・  」で、丁寧に磨いてくださった先生に感謝したくなりました。」
という感想をいただきました。

また、先生がコンクールの当日、舞台に出る直前のラファウに、1次予選も、2次予選も
ひざで軽くおしりをキックした、

すると、本選の直前に、ラファウは回れ右をして、キックを待っていた。

というところも、思わずくすっとし、また、ほろっとした、という方々がいらっしゃいました。

先生は、ラファウを振り向かせて、言った。
「美しく弾きなさい。あなたの魔法をかけなさい。」





私が一番感銘を受けたのは、お父様です。
お父様は、息子が小さい頃から、ずっと音楽学校へ車で連れて行き、レッスンや授業の間ずっと(仕事のことなどしながら)待ち、
本当はとても疲れていらっしゃるに違いないのに、

「疲れ?ありません。不安?ありません」

常に前向き。愚痴はいっさいおっしゃらず。

すごいです。前にも書いたことあるのですが、本当に素晴らしい父親です。
「この父親がいなければ、今日のラファウ・ブレハッチは存在しなかった。」という先生の言葉も書かれています。

もっとも心に残るのは、お父様が、ラファウ少年に絶対音感がある、と気づいたシーンでした。

ラファウがプレスクール(小学校入学前、小学校は7歳からだったそうです。)を終えた段階で、両親は、このままナクウォの音楽センターを続けるか、
もっと真剣に音楽を学ばせるか決めようと、ビドゴシチの専門家に相談のため訪れた。

真夏のその日、ラファウはちょっといたずらをして母親にぶたれ、へこんでいた。
ビドゴシチの先生は、ラファウに
「今日はどんなことがあったの?」
と訊いたが、ラファウはうそをつけず、本当のことも言えず、だまっていた。
「これは何の音?」とピアノを鳴らすと、ラファウはしぶしぶ答えた。

先生は、
「しばらくはそっとしてあげた方がいいけれど、もし音楽を学びたいのであれば、
ナクウォでなくちゃんとした先生につかせて。」とアドバイスした。



家に戻って、父親はピアノを開き、1音を鳴らした。
「ラファウ。これは何の音?」

「ド!」
ラファウは部屋を駆け回りながら答えた。

私は、次々と違う音を弾いてみた。ラファウは部屋を駆け回りながら、ピアノの方を振り返って答えた。間違いはなかった。

2音で試してみた。ラファウは正しく答えた。和音もやってみた。ひとつも間違いはなかった。

7音で--不協和音、かなりむずかしいはずだ。

ラファウは、全部認識できた。

「絶対音感。
--誰かが彼を教育するべきだと思いました。」

(記者)「才能があると?」

「いいえ。」
クシシュトフ・ブレハッチは、慎重に、注意深く言葉を選んだ。

「当時はそこまではわかりませんでした。しかし、この絶対音階をみのがすべきではない、と確信しました。」




お父様のお話が載っていた記事の写真です。


ブレハッチの演奏会では、外国ツアーも含め、すべてお父様が同行しておられるそうです。
単なるマネジメントのサポート、というのでなく、親子だからということ以上に、
もっと心のずっと深いところで、演奏家ラファウ・ブレハッチを理解し、助けておられるのだと、
この二人は魂の奥のところでの絆があるのだと、
こうした記事を読んで感じたような気がしました。 



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