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2008年1月20日日曜日

ラファウ・ブレハッチ、フランスのメディアとのインタビュー(ビデオ)

2007年10月10日のインタビュー

インタビューのビデオ(英語)はこちらです。
ページ右側の、INTERVIEWSをクリックしてください。


Q ハロー、ラファウ。お会いできて光栄です。フランスへ、そしてVIRGINMEGAへようこそ。

A ボンジュール。

Q ボンジュール。 フランス語ができるのですか。

A 単語をいくつか知ってるだけです。

Q そうですか。 ショパンもフランスに住んでましたね。

A はい、およそ20年位、人生の半分はフランスでした。

Q じゃあ、フランス文化ともつながりがあったのですね。

A ええ、もちろん。お父さんがフランス人でしたから。彼の音楽も少しフランス的だと思います。

Q いよいよDGからの初めてのCDが出されました。
あなたはとても若いですが、あなたの作品に対する聴衆の反応は素晴らしく、目覚しいものがありますね。
どう思いますか。勇気付けられますか。あるいはストレスを感じますか。
あなたの人生のこの特別な時を、どんな風にうけとめてらっしゃいますか。

A 私のキャリアにとってとても重要なことだと思います。
というのは、自分のキャリアはまだ始まったばかりだと認識していますから。
DGとの契約は、私の人生にとってとても重要でした。
これで、最初のCDとしてショパンのプレリュードをフランス市場にも出すことができ、うれしく思います。




Q ショパンの音楽に初めて触れたのはいつだったか覚えていますか。
A 私の初めてのショパン体験ですか。

Q はい。初めて、ショパンに遭遇した時、好きになられたと思いますが。あるいは好きではなかったですか。

A はい、ショパンの音楽は私にとっていつも近くにありました。
初めて弾いたフレデリック・ショパンの作品は、ノクターン第2番、これはopの32でしたっけ?(笑)

私はショパン音楽を愛しています。ショパンコンクールは私の人生にとって重要でした。
コンクールの結果が私にとってとても喜ばしいものだったことをうれしく思います。

その後、全てが順調に進みました。
コンクールの1年後の2006年には、DGと契約することができました。
これをきっかけに、とても重要な音楽祭やコンサートホールから多くの招待をいただきました。

今、多くの有名なエージェンシーや音楽家との接触があることは素晴らしいことだし、世界中の美しい場所で演奏でき幸せです。

Q ご自分のピアノ-スタィンウェイを選ぶ機会がありましたね。

A はい、昨年ハンブルグで自分のグランドピアノを買うことができました。スタィンウェイです。
今はこの素晴らしい楽器で、自宅で練習することができます。ピアニストにとって大切なことだと思っています。

Q ご自身のピアノを持つことで、弾き方に変化はありましたか。

A あったと思います。ショパンやドビュッシー音楽で重要な、美しく、色彩豊かな音など多くの側面を学べますから。ありがたく思っています。

Q プレリュードの持つ色彩は、やや物悲しく、冬の色彩と思われます。作曲されたのは、マジョルカ島でしたね。

A はい、マジョルカ島にて作曲されました。

Q 当時のショパンは、不幸なできごとが続いていました。病気が重く、その後父親が亡くなりました。
作品を弾いているときに、こうした悲しみや寂しい雰囲気を感じ取ることができますか。

A はい、プレリュードでは、多くの異なった雰囲気、感情・特徴がこめられています。
もちろん、ショパンは人生の困難な時期にプレリュードを書きました。
こうした背景は重要ですし、これはプレリュードを解釈する助けとなっています。

Q ショパンの経験とあなたの間に共通点があるかと考えると、実際、あなたは若く、

A ええ、むずかしいですね。

Q ショパンを理解し、演奏するのはむずかしいのではないですか。

A はい。しかし、私はショパンに人生について何冊か本も読み、参考になったと思います。

Q ショパンは、自らの作品の演奏を嫌った唯一の人間だという評価もありますが、そう思いますか。

A どうでしょうか。ただ、私にとってはショパンは重要で特別です。
特にコンクールの後はそうですね。コンクール後、数多くの演奏会で聴衆のために演奏することができ、これは私の夢だったのです。

Q ショパンのLa Note Bleue (the Blue Note)のコンセプトはご存知ですか。
A はい、聞いたことあります。

Q ショパンのLa Note Bleue (the Blue Note)とは何かを聴衆に伝えるのはむずかしいですか。

A はい、ショパンの音楽は特別で、優美で、メランコリックな感情など多様な感情を抱合しています。
そして、各アーチスト・ピアニストによって異なった解釈があり、聴衆にとって興味深いでしょう。
また、ショパン音楽を聴く聴衆も、各人が異なった感情で受け止めるということもあるでしょう。

Q プレリュードの15ですが、大変素晴らしいですね。多彩な変化、ニュアンスの違いがあります。あなたの好きな曲の1つではないでしょうか。

A どうでしょう。私は、プレリュードの1曲1曲、それぞれを愛しています。
全体としても好きです。もちろん私がやりたかったのは、んー・・すみません(考える)

Q より素晴らしい傑作として・・?

A 私は24のミニチュア・小曲から、1つの循環を作りたいと思いました。
Op-28を全体として1つの作品として、クラッシックなソナタのようにしたかったのです。

ソナタですと、アレグロ・アダージョ・フィナーレの3楽章から成りますが、1つの作品ですよね。そんな風に、例えばブラームスのように。

Q 他のショパン作品を録音する計画はありますか。

A 今後の録音でですか。

Q はい。

A はい、おそらく、3枚目の録音はショパンになると思います。

しかし、2枚目は、他の音楽、おそらく、バッハ、モーツアルト、ベートーベンのソナタになるでしょう。
というのは、私もショパンだけを弾くのは好ましくないと思います。

私にショパンを弾いてほしいと聴衆が願っているのは知っています。
ドビュッシーやバッハも興味がありますし、私にとって助けになった音楽です。
特にドビュッシーは、ショパンの解釈にとても参考になりました。
色彩豊かな美しい音に関連する側面は、ドビュッシー、ショパン音楽両方にとって重要です。

私のリサイタルでもまずハイドン・ベートーベンといった他の作曲家を、後半にショパンを弾くことで、聴衆は興味深く聴いてくださっていると思います。

Q 先ほどドビュッシーとおっしゃいましたが。

A ええ、コンクールの前の時期にも、ドビュッシーをたくさん弾きました。

Q ショパン音楽にとってのフランス的な要素・感情はご存知ですか。

A はい、ショパンにはフランス音楽とつながる多くの要素があると思います。
美しい音や豊かな色彩。これらはフランス音楽にとってとても重要です。




Q フランスの他の作曲家は、いかがですか。

A 例えばラベルを弾きますか、という質問ですね。ラベルは経験が十分ではありません。
もちろん、将来はラベル作品も弾きたいと思っています。
しかし、今は、他の作曲家-ドビュッシーや、バッハ、モーツアルトに取り組んでいます。もちろんシマノフスキーも。ポーランド音楽として。

Q ロマン派の作品にもっととりくみますか。19世紀の作品をにかなりつながりをお持ちですね。

A はい、もちろん、私のレパートリーにはフランツ・リストの作品が含まれています。
今後、ブラームスや他の作曲家も取り入れたいですね。
私のキャリアにとっても助けになりますし、来年以降のシーズンに様々な場所でこうした曲を弾けば、聴衆も興味を持ってくれるでしょう。

Q プレリュードの録音の最後にマズルカを入れることに関して、これはオンライン版のみとおっしゃってましたね。
マズルカはエネルギッシュな曲です。プレリュード全作品の最後にマズルカというのは、奇妙な選択ではありませんか。

A マズルカはCDには入りません(オンラインでのみ)。マズルカは聴衆にとって面白いと思います。
とても短い曲で、もちろんとてもエネルギッシュで、プレリュードとは全く異なりますので、面白いと思いますよ。

Q 作品を解釈するとき、作品のみに焦点をあてますか。それとも、作品をとりまく外の要素も学ぼうとなさってますか。

A ああ、わかりました。他の要素も重要です。もちろん解釈の鍵となるのは作曲家が書いた楽譜です。

また、時として、取り組んでいる作曲家につながりのある本、伝記、その作曲家の作品の様々な録音でインスピレーションが得られます。

コンクールの準備をしていた時も、ショパンや彼の作品に関する本や、ショパンが友人、生徒にあてた手紙を読みました。
大変興味深く、インスピレーションを得ることができ、フレデリック・ショパンの音楽を解釈する上で大いに参考になりました。

Q ショパンのルバートは理解できましたか。むずかしいと言われています。

A はい、ピアニストにとってとてもむずかしいですね。しかし私はあまりこだわりませんでした。
よくジャーナリストの方からこの質問を受けるのですが。どうでしょうか。私の場合ば自分の直感です。

音楽にとってこれが最も重要な点だと思うのですが、アーチストは自分の直感に耳を傾けるべきです。私はそういうやり方です。

Q つまり、とても微妙でなかなか入り込めないが、盗まれた瞬間(=テンポルバート)にのみ、解釈に導かれるような感じ・・

A うーん、ショパンはテンポルバートを使っていましたが、あまりおおげさにでなく、自然に使っていたと思います。

Q ここフランスでの演奏の計画は?

A はい、来年の1月、パリのシャトレー座でリサイタルを予定しています(注・2008年1月27日)。
今回は土曜日に、トゥールーズでトゥガン・ソヒエフ指揮、トゥールーズキャピトル国立管弦楽団と、コンチェルトを弾きます。(注:2007年10月13日)

Q コンサートでライブで弾くのがお好きですか。

A はい、今のところ、ライブの演奏の方が好きですね。実は録音より、コンサートが好きです。(笑)
たぶん、CDとかスタジオでの演奏に十分な経験がないからだと思います。
コンサートですと、コンクールの前にも、ポーランドや外国でたくさん機会がありましたから。

Q スタジオでの録音は、聴衆の前で弾くのとは随分違いますか。

A ええ、随分違います。スタジオでは、ライブのコンサートとは全く異なった感情を感じます。
なので、スタジオでの取り組みはコンサートよりむずかしいです。

Q 冷静すぎる雰囲気?

A そうですね、おそらく。(笑)

Q ありがとうございました。

A ありがとう。メルシー。

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2008年1月15日火曜日

アメリカPBS制作、2005年ショパンコンクールドキュメンタリー「ポーランド:ショパンの心」(ビデオ)

Poland—Chopin’s Heart「ポーランド:ショパンの心」
(Marian Marzynskiによるレポート、2006年5月9日、米国公共テレビPBS)



オリジナルの番組のビデオ
Watch videoをクリックしてください。
すぐに開始しないようでしたら、上の方の、quicktimeかrealをクリックしてください。


私は人生の前半をポーランドで、後半をアメリカで過ごした。共産主義崩壊後、ポーランドにたびたび帰り、同国で芽生えつつあった民主主義について報道した。今回ワルシャワに戻ったのは、政治ではなく、ショパンのためだった。

ポーランドの他の子供たちと同様、私はこの音を聴いて育った。フレデリック・ショパンはポーランド社会という織物に織り込まれている、文化的な、そして歴史・政治的な伝説だ。

5年に1度、ショパン国際ピアノコンクールに参加するため、何百人ものピアニストが世界中からワルシャワのこのホールに集まってくる。今私はその音楽の聖堂にいる。この聖堂で、ショパンは至高の聖職者だ。若いピアニスト達はここでなんとか聖職者の地位に到達しようと努力する。

かつてポーランドに住んでいた頃、このステージに立つのはどんな感じなのか想像しながらこのホールに何度も来て座ってみたものだ。

河村尚子はサインアップした800人の1人で、最初の審査を生き延びた。彼女は日本でショパンを発見した。子犬のワルツを弾く時、地上の全ての動物が踊るのが見えると語ってくれた。

(ベン・キム) 私の行進曲のテンポは2箇所で変えているんですよ。行進曲の最初の部分は、2楽章の終わりから、こんな風につながります。(演奏)

彼は、ベン・キム。両親は韓国人で、NYに引越し、彼はジュリアードで勉強している。コンクールの課題曲のソナタを弾いているが、葬送行進曲として知られている部分がある。私は鳥肌がたった。

他のピアニストに、何か弾いてほしいとたのんでみた。18才のアンドレイ・ヤロシンスキはモスクワから母親とやって来た。

(母親) この音楽には奇妙な感覚をもっています。光が見えるんです。ある時点で怖くなくなります。去り行く者への悲しみは残っているのですが、死を超えた光が見えるのです。

私が若い頃、ソ連共産党の幹部が亡くなるたびに、――実際、多くの幹部が亡くなったわけだが――ポーランドの全国民が何日もこの曲を聴くことになった。ショパンはこの曲をパリで作った。19世紀、ロシアに国が占領されポーランド文化が抑圧された時、若いショパンは父親の母国フランスへ亡命し、2度とポーランドに帰ることはなかった。

ショパンコンクールは毎回ショパンの死を追悼して行われる。ショパンは38歳の時パリで亡くなり同地で埋葬された。しかし、彼の心臓は遺体から取り除かれこのワルシャワの教会に置かれている。

ショパンの半分はフランス人だが、専門家は、彼の音楽は別れたポーランドの心に由来するという。ある専門家は、ショパンはあまりにもポーランド人的だったため、フランス語がうまく話せず、彼の音楽の独特性は悲しみだと説明する。この郷愁はショパンの全ての作品にある、と。

(音楽評論家Stanislaw Dembowskiとの会話)
ポーランドについての悲しみですか?
魂の悲しみです。物理的なものでなく。
魂が何かをなつかしんでいると?
そう、何かを。
愛を失ったのですか。
いいえ、ポーランドを去り、国が恋しいのです。
じゃあ、すべてポーランドのことだけ?
そうです。ポーランドを本当に愛しているのです。
しかし、かつて愛した女性をなつかしんでいるのでは?
可能性はありますが、それだと私的すぎますよ。

(主催者) 第2次予選に進めなかった参加者たちをねぎらい、励ましたいと思います。

コンクール開始後2週間、残り32人に絞られてきた。このショパンオリンピックに勝利する者は誰であれ、世界中での演奏キャリアを開始できるだろう。しかし、誰のショパンが他より優れているか劣っているかを、誰が決めるのだろうか。

これを解明するため、私はインサイダーの1人の協力を求めた。彼が50年前コンクールで優勝した時のことは覚えている。今回の18人の審査員のうちのひとりだ。「基本的には、軽やかに、初めて弾くがごとく弾くことです。」と、高名なポーランド人ピアニスト、アダム・ハラシェヴィチは言う。

(ハラシェヴィチ)あたかも、即興のごとく聞こえなければ。ショパンを学術的に弾いてしまったら――最初にこう弾き、続いてこうなるべき、などどやってしまったら、ショパンを生かせない。彼の真実を表現できない。

間違ったキーを弾いてしまったらどうなります?と彼に聞いてみた。答えは、「美しく演奏するのであれば、音符の間違いなど誰が気にするでしょう?」

彼はコンクールのスターの1人、オーストリアのインゴルフ・ヴンダー。彼の演奏を聴いて、ショパンのタッチを会得するのにポーランド人である必要はないと思った。翌日、彼は落とされてしまう。この重大な見落としについて、ハラシェヴィチは他の審査員の責めた。

「審査員が狭量でしたね。」とアダム・ハラシェヴィチは言う。1955年の自分の受賞演奏を聴いた時、多くの技術的ミスがあったと認めた。「ヴンダーはショパンの大ポロネーズを早く弾きすぎたと批判されました。この曲にはdouble tonesがあり、上昇してフォルテになり、下降してピアニシモになるところがあります。」

「ヴンダーがこれらの音符を弾いたとき、私は神々しさを感じました。心にナイフがあてられたようにはっとし、恍惚となり魅了されました。」

ハラシェヴィチは、コンクールが終わるまえにヴンダーのような演奏者が現れることを望んだ。

ピアノを学ぶため日本を離れポーランドに渡った山本貴志は、そのような演奏者だろうか?ショパンは日本で賞賛されており、余裕のある親は、才能ある子息をショパン漬けにするためポーランドに送る。山本の教師は審査員の1人だ。しかし、コンクールの規則では、彼は弟子の審査はできないことになっている。

ポーランドのピアニストでショパンに似た人物がいる。ヤノシュ・オレイニチャクは以前のコンクールで入賞したことがあり、今回は審査員で入っている。彼は日本人ピアニストの侵入をどう感じているのだろうか。

ヤノシュ・オレイニチャク(審査員) 産業スパイによって自動車やピアノの製造を改善する伝統を持つ日本人が、今やショパンを掘り下げ、心にまで到達しようとしています。以前は機械のように演奏していましたが、最近は私たちを感動させるようになりました。日本人は我々の音楽についてたくさん読み、聴いています。我々ポーランド人がその存在に気づかなかった秘密まで追求しているのです。

第15回国際フレデリックショパンピアノコンクールで本選に進んだのは12人。ショパンのいずれかのコンチェルトを弾くため、各コンテスタントがオーケストラとリハーサルすることになっている。12人のうち9人がアジア出身、1人がロシア、2人がポーランドだ。

ショパンに対する宗教的なまでの執心がありながら、なぜコンクールの75年の歴史の中で優勝したポーランド人は3人にとどまるのだろう?私がいた頃のポーランドでは、ショパンは文化の他の要素と同様、政治的に扱われていた。つまり、ポーランド以外の外国人の方が簡単に優勝できるという噂が絶えなかった。共産党政権は外国人を優勝させ、文化的外交官として扱うことで、ポーランドの世界における立場を有利に改善しようと試みた。しかし、ポーランド人が同国の天才ショパンに圧倒されてしまい、舞台に出るとあがってしまう、というのも真実だったと思う。

今年、ポーランドの希望はラファウ・ブレハッチだ。ポーランドの小さな町出身の彼は、ワルシャワでは無名だった。彼にインタビューしたかったが、彼は予選で弾き終えるごとに消えてしまった。さらに練習するために自宅に戻っていたのだ。

翌日、決定的瞬間が到来することになる。ワルシャワのコンサートホールは「Who’s who?」にうってつけの場所となった。800人から12人に絞られた本選出場者の心中を私は想像してみた。

山本貴志は優勝候補の1人だ。教師も、本人同様緊張している。

ピオトル・パレチニ(審査員、山本貴志の教師) とても満足しています。彼は類まれなる才能と感受性を備えています。

ホセ・フェルナンデス(音楽評論家) 山本は機械のようです。確かにぬきんでている。ファンタスティックとおっしゃるなら、まあ、そうでしょう。しかし、心が欠けていると思いますよ。私の個人的意見ですが。

一体どのような感受性に基づいて、ピアニストは鍵盤をたたくための特定の力や具体的なテンポを適用しようと決めるのだろう?それによって、このたまらなく魅力的な音楽のクオリティをコントロールし、私を喜びと悲しみ、愛と恐れといった感情で満たし、その音楽の秩序の美しさに瞑目させるのだろう?

ラファウ・ブレハッチの演奏が始まった。

「要はインスピレーションを感じられるか、です。」と前述の審査員が言っていたのを思い出す。突然、音楽ホール全体がインスピレーションで満たされるのを感じた。

ブレハッチのコンチェルトホ短調は、聴衆の心を捕えた。

そして、審査員の心も。

30年ぶりのポーランド人優勝者の出現。このショパン音楽の新しいプリンスが、次回コンクールまでの5年間を席巻することになる。
(祝福の場面)

入賞者コンサートでのラファウ・ブレハッチ。

かつてのポーランド人優勝者のうち、国にとどまったのは1人のみ。他の2人は西側へ移住した。しかし、今やポーランドは民主ヨーロッパの一部であり、音楽の世界に国境はない。ショパンの心は、音楽の世界に対する、ポーランドの特別の贈り物だ。

(音声の和訳。サイトに記述されたアウトラインとは異なります。)

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